核廃絶と医師 命を原点に運動広がれ - 朝日新聞(2017年8月9日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S13078502.html
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72年前の9月、赤十字国際委員会から派遣されたスイス人医師ジュノー博士は、医薬品15トンをもって原爆投下1カ月後の広島に入り、みずから治療にもあたった。帰任後は、機会あるごとに核廃絶を訴えた。
同委員会のケレンバーガー委員長は2010年、博士による「世界初の広島の惨状に関する証言」にふれ、「核兵器の使用はいかなる場合であっても、国際人道法に合致するとみなすことはできない」と述べた。
この声明は核兵器禁止の流れを大きく加速した。非人道性を医療の観点から裏づけ、議論を主導したのが、党派色をもたず中立的な核戦争防止国際医師会議(IPPNW)だった。
核兵器禁止条約が先月、国連で採択された。ここに至るまでに、国際舞台で医師が果たした貢献は計り知れない。
ところが国内に目を転じるとさびしい現実がある。85年にノーベル平和賞を受賞したIPPNWの会員は数十万人いるといわれるが、日本支部は3千人ほどにとどまる。
広島、長崎の医師による発信は被爆直後からあった。だが十分な広がりにならないまま、会員の高齢化が進む。後輩に参加を呼びかけてきた故河合達雄・岐阜県医師会長は、被爆国にもかかわらず活動が弱いことを嘆き、世界から「異様に思われている」と書き残している。
そんな日本支部で5月、注目すべき動きがあった。代表支部長のポストを新設し、秋から世界医師会長を兼ねる日本医師会の横倉義武会長が就いたのだ。
横倉氏は8月9日生まれ。72年前、1歳の誕生日を迎えたその日に、長崎のいとこが被爆して亡くなったことを後に知り、核の問題はずっと心にかかってきた。「核戦争防止の推進役を担いたい。国民の健康をあずかる医師として、世界にも強く主張していく」と話す。
さっそく都道府県支部の拡充を図り、先月、7年ぶりに12番目の新支部が佐賀にできた。
学生・若手医師部会の内田直子さん(長崎大医学部3年)は、大学で被爆70年の企画展にかかわり、被爆者に話を聴いたのが縁で活動に加わった。
昨年、アジア8カ国の仲間が集まったインドで、「原爆や被爆者のことをさらに知りたい」「日本、もっと発信してよ」と迫られ、責任を痛感した。
非人道的な核兵器から人命を守るには核廃絶しかない。そんな認識が世界に広がるいま、日本の医師は、何を考え、どう行動していくのか。これからの歩みに、世界の目が集まる。