「核戦争の恐怖よみがえってきている」 近衞氏の寄稿全文 - 東京新聞(2017年7月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017070502000123.html
https://megalodon.jp/2017-0705-1040-35/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017070502000123.html

近衞忠〓会長の寄稿文の全文は以下の通り。
日本海の沿岸では、ミサイルが飛んできた時に備えて、子供たちの訓練が始まっています。先生が子供たちを体育館に誘導し、万が一爆弾が爆発したと聞かされても落ち着いていなさいと諭している光景は、いやでも真っただ中の冷戦時代を思い起こさせます。
一発の核の攻撃と、それが引き金になるかもしれない核戦争の恐怖が、われわれの学校に、職場に、そして家庭によみがえってきています。朝鮮半島で高まっている緊張は、千八百発以上の核弾頭が、いつでも発射できる状態にあるという世界の現実に改めて光を当てることになりました。
この恐怖は、大きな不確実性があることによって生じています。攻撃が起きるのか、起きるとすればいつ起きるかは誰にも分かりません。それでもわれわれが絶対確かと思えることが一つあります。
それは、われわれは人類全体として、このような攻撃がもたらす恐るべき結果に対して、完全に備えを欠いているということです。もし、核爆弾が都市や人口密集地に命中すれば、何万いやそれ以上の命が無残にも一瞬にして奪われることになるでしょう。また、たとえ多くの、はるかに多くの人々が生き残ったとしても、彼らの苦痛は筆舌に尽くしがたいものとなるでしょう。一度核兵器が使われたなら、生き残った一部の人々ですら、効果的に救う、実行可能な手段がないのですから。
病院やその他の医療施設も消滅するでしょう。亡くなったり傷付いたりする人々の中には、医師や看護師も含まれ、彼らが仮に生き残って使命を果たそうとしても、その術(すべ)は残されていないでしょう。道路や輸送網は壊滅し、急がれる救援の手を差し伸べようにも、どうすることもできません。降り注ぐ放射性物質が、救援の努力を一層妨げ、人々は寄り添う人もないまま、苦しみの中で息を引き取ることになります。そして文明は地上から抹殺されるでしょう。
そして誤ってはいけません。核爆弾による死の灰は、国境を越えて降り注ぎ、何百万という人々が破壊や被爆から逃れて避難を強いられることになります。
これは推理ではありません。私は、これらのことには、ことごとく確信を持っています。それは、私が数十年にわたって人道分野に身を置いてきたこと、そして日本人として生きてきたことと無関係ではありません。人道活動家として、私は紛争、故郷の喪失、自然災害や人災のあおりを受けた人々の極限の苦しみに触れてきました。しかし、その一つですらも、例えば津波後のアチェ(※)の沿岸ですら、核兵器のもたらす結末とは比べるべくもないと思うのです。 
国際社会が人道的な対策を強くすることは可能だとしても、それは十分とは程遠いでしょう。
私は日本人として、核兵器による攻撃の長期にわたる影響についても承知しています。広島と長崎の原爆投下から七十二年たった今日現在でも、私たちの赤十字病院被爆した人たちのがんや白血病の治療に追われています。彼らの人生は、絶えることのない差別や偏見との闘いでした。多くの家族にとって、原爆は今もって爆発し続けているのです。
最新の核兵器がもたらす結末は、はるかに大きなものになることは明らかでしょう。
私はここで警鐘を鳴らすのではなく、事実をひたすら述べているつもりです。たった一回の発射、一回の過ち、一回の事故でも取り返しがつかないというのに、世界にはその道理が通用していません。
しかしチャンスはあります。そして希望も。ニューヨークでは、核兵器の使用を禁止し、ゆくゆくは廃絶につなげる地球規模の条約を作る交渉が進んでおり、人類の英知もいまだに捨てたものではないことを示しています。われわれはすべての国家がこの機会を生かすことを要望します。このような交渉につきものの複雑さや、厳然とある不信感や政治的現実を承知の上で。
明快な真実は、核戦争に勝者は存在しないという、ただそれだけです。
私たちには、子供たちが学校の体育館や机の下に隠れ、はかない運命を委ねなければならないような恐怖から自由な世界を選ぶことができます。いや、実際にはそれしか選択肢はないのです。
アチェインドネシアスマトラ島の北端に位置し、二〇〇四年のスマトラ沖地震に伴う大津波で甚大な被害を受けた。
※〓は「火」へんに「軍」