(余録)官房長官の「怪文書」発言にちなみ… - 毎日新聞(2017年6月16日)

https://mainichi.jp/articles/20170616/ddm/001/070/113000c
http://archive.is/2017.06.16-005459/https://mainichi.jp/articles/20170616/ddm/001/070/113000c

官房長官の「怪文書」発言にちなみ先日「落(お)とし文(ぶみ)」、つまり人目につくよう落としておく匿名の告発文書の話をした。落書(らくしょ)ともいわれるこの手の文は、言論の自由がない昔の庶民の権力者への抵抗だった。
「当代のごとく落書の多きは絶えてなし。いかに人民の憤怒せしかを想像するに足るべし」。後世の史家がこう記すほどに落書が多かったのは18世紀初め、江戸時代の宝永年間という。五代将軍・綱吉(つなよし)が没して代替わりした時だ。
「美濃紙(みののかみ)は次第に狭く薄くなる」は当時の落首の上の句で、美濃守は綱吉の治世に権勢を振るった柳沢吉保(やなぎさわよしやす)である。その綱吉の時代の言論弾圧はすさまじく、風刺文の匿名作者を捜して処刑するのに35万人も取り調べたといわれる。
こちらの落とし文は怪文書ではなく、真正の文部科学省内の文書だった。特区の獣医学部早期新設につき「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」とある部分の真相は、きょうの参院委の集中審議ではっきりとさせてほしい。
では文書を怪文書と難じ、その存在を証言した前事務次官を激しく攻撃した官邸の当初の対応は疑惑隠しでなければ何だったのか。つい先日も副文科相が文書の存在を明かすことの違法性を口にして、職員を威嚇(いかく)するありさまである。
政権与党は自由な言論を脅かすと批判のある「共謀罪」法を異例の手続き省略で成立させた。まさかとは思うが、権力へのそんたくで本音を落書に託す時代のさきがけになってはたまらぬ文科省の落とし文だ。