諫早分断 融和は政府の責任で - 東京新聞(2017年4月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017041702000130.html
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“ギロチン”と呼ばれた鉄の堤防が諫早湾を分断して二十年。長く複雑な訴訟合戦を経て、海と陸、漁業と農業を隔てる壁は厚みを増すばかり。国策の誤りを認め、和解へ導く責任は政府にある。 
二百九十三枚の鋼板が魚湧く宝の海をドミノ倒しのように切り裂き、長さ七キロの潮受け堤防が出現し、諫早湾の三分の一を閉め切った。その模様は“ギロチン”と形容された。ムツゴロウがはい回る国内最大級の干潟が消えて、六百七十二ヘクタールの農地ができた。
戦後の食糧難がまだ続く一九五二年に構想されて、世紀をまたいだ二〇〇八年に完了を見た国営諫早湾干拓事業。国策は時代の変化に適応できず、完成だけを目的とする、典型的な“止まらない”巨大公共事業と化した。 
政府は米余りの時代の到来だけでなく、干潟の持つ海水の浄化能力も視野に入れてはいなかった。
空から湾を見下ろすと、陸側にできた真水の調整池と、堤外の湾の海面の色が明らかに違っているのが分かる。工事が進むに従って、赤潮の頻発で名産のノリの収穫が激減するなど海に異変が起きた。そこからがややこしい。
有明海沿岸四県の漁業者が〇二年、工事差し止めの仮処分を求めて提訴。〇四年、佐賀地裁はこれを認めた。巨大公共事業を止めた初めての司法判断と注目された。
仮処分は取り消されたが、その後の本訴で、潮受け堤防の排水門を五年間開門するよう命じた判決が一〇年、福岡高裁で確定した。
これを受け、干拓地に入植した営農者は一一年、利水や防災上の支障が出るとして、開門差し止めを求め、長崎地裁は一三年、仮処分を決めた。
国策の誤りを認めることになるからか、国は開門に踏み切れず、今は一日九十万円の制裁金を漁業者側に支払い続けている。開門すれば、営農者側への制裁金が課されることになっている。
最高裁は、下級審の事実認定を変更できず、両地裁の判断を統合することは不可能だ。法や制度の不備をここで指摘しても始まらない。長い訴訟合戦で明らかになったのは、裁判では解決できない問題なのだということだ。
政府がまず国策の不備を認めて、対話のテーブルに戻るよう誠意を尽くして双方を説得し、利水や防災に配慮した、農業も持続可能な開門の在り方を模索するしか道はない。
漁業、農業、そして地域をこれ以上疲弊させてはならない。