新学習指導要領 欲張り過ぎていないか - 東京新聞(2016年8月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016082302000132.html
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子どもは楽しいと感じたらほっておいても夢中になる。だが、そううまくはいかないのが学校教育だろう。次の学習指導要領は転機となる可能性を持つが、欲張り過ぎては理念倒れになりかねない。
小中高校では二〇二〇年度から順次、新しい指導要領が実施される段取りだ。中央教育審議会が公表した青写真には、戦後の工業化社会を支えてきた学校教育を大きく転換するねらいが示された。
グローバル化や情報化、少子高齢化が進み、社会の将来予測は難しい。与えられた課題を効率良くこなす力よりも、新たな価値を創り出す力の育成に主眼を置くということだろう。
人工知能やインターネットに象徴されるように、現代社会の諸相は、もはや教科書の枠組みには収まりきらない。移り変わる世の中との結びつきを常に意識させ、教科に横ぐしを刺して考えさせる。その改革の方向は理解できる。
そのために新指導要領では、何を学ぶかに加えて、何ができるようになるかという成果主義の考え方を重視した。そして、学力保障の手段として、授業の柱に「アクティブ・ラーニング」を据えるよう促したのが最大の特徴だ。
先生が一方的に教えるのではなく、子どもたちが主役となって議論したり、調べたりして協力しながら考え、学ぶ方法を指す。
さまざまな見方や発想と触れ合えば、参加意識が高まり、やる気に火がつく子が増えるかもしれない。他者を思いやり、個性を認め合うという成長も期待できよう。
もっとも、先生に相応の指導力があればの話である。
異質の技量を問われ、授業準備や教材づくりのあり方も見直しを迫られる。控えめな子や自信のない子、障害のある子への目配りを欠いては、学力格差を生みかねない。一朝一夕には実践できまい。
しかも、新指導要領では、かつての“ゆとり教育”との決別を鮮明にし、学ぶ量は減らさない。
国際化に対応すべく、小学五年から英語を教科にする。情報化をにらみ、小中高校のプログラミング教育を充実する。大学入試改革に伴い、高校の国語や地理歴史などの主要科目を再編する。
新指導要領には、日本を没落させまいとする焦燥感さえ漂う。だが、先生の過重労働を改善し、創意工夫のための裁量を担保せねば、現場は疲弊するに違いない。
何より主役は子どもたち一人ひとりだ。国の教育戦略によって人生を翻弄(ほんろう)することは許されない。