(続報)脱原発テント、未明に強制撤去 「外に出たらマスコミがいた」  - 田中龍作ジャーナル(2016年8月21日)

http://tanakaryusaku.jp/2016/08/00014300

原子力ムラの総本山とも言える経産省の一角に立っていた「脱原発テント」が、きょう未明、強制撤去された。
テント宿直の男性(40代)によると午前3時40分頃、東京地裁の執行官がテントを予告なしに訪れ、紙きれを見せた。当時テントには5人の宿直者がいた。
執行官は「今いる方、私物を持って出て下さい。10分ほどありますから」と告げた。
テント宿直者たちが外に出るとガードマン30人余りが周囲を取り囲んでいた。制服警察官約20人は遠巻きにした。
権力はマスコミを引き連れていた。警視庁記者クラブあるいは司法記者クラブへのリークであることは明らかだ。
連れて来てもらったことへの恩返しなのか。マスコミは道路の中央分離帯から望遠レンズで撮影した。新聞テレビは政府と原子力ムラの広報機関であることが改めて明らかになった。
東京地裁の執行官はテントの周囲を鉄柵で囲い、その内側にガードマンをびっしりと配備した。経産省前の歩道もガードマンで封鎖した。
田中が鉄柵(テントまで約3m)に張り付いて撮影していると、執行官は5〜6人がかりで暴力的に排除してきた。
「天下の公道上なのに撮影できないのはおかしいではないか?」「執行中ですからお見せできません」・・・田中が撮影しようとすると執行官たちは手を広げて視界を遮った。
押し問答が30分近く続いたところで警察のお出ましとなり、田中は道路の対岸に持って行かれた。
着手から1時間もすると3張のテントは跡形もなくなった。テントの遺留品を詰めた段ボール箱がトラックまで次々とバケツリレーされていった。
さらに30分後には ほうき でテント跡の地面を掃く光景も見られた。
テントの宿直者たちは道路の対岸で強制撤去を見守った。「テント来訪者名簿」「日付のプラカード」「ツイキャス中継器材」などは持ち出した。田中がテントに忘れていたICレコーダーも奇跡的に含まれていた。
国が強制撤去の日取りを日曜未明にしたのには思惑があった。2012年1月、時の民主党政権がテントを撤去しようとしたことがあった。
ところが撤去期限の1月27日夕方、500人を超す市民が駆けつけてテントを守ったのだった。
地下鉄も動かず、普通の人々がまだスヤスヤと眠っている午前3時30分であれば、思い通りにテントを始末できる ― 権力はこう考えたのであろう。
原発事故が起きた2011年の9月11日、有志によって張られたテントは間もなく6年目を迎えるはずだった。
テントの玄関を飾っていた「設置・1807日目」のプラカードは強制撤去で持って行かれた。
テントの立ち退きを命じる裁判の判決が確定したのは7月28日。1ヵ月を待たずして判決の強制執行となった。
沖縄・高江では7月22日、本土の機動隊500人が加勢して基地建設反対派のテントを強制撤去した。
安倍政権は「やる」と言ったら、どんな強権的な手段を用いてでも実行する。

関連サイト)
脱原発テント」強制撤去へ 約3800万円の支払い命令に団体側は... - HuffPostJapan(2016年8月2日)

http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/01/datsugenpatsu-tent_n_11300116.html

2011年9月から約5年間にわたって、経産省の敷地内に市民団体が設置している「脱原発テント」が強制撤去される見込みになった。
7月28日付けで最高裁が市民団体の上告を退けたためだ。テントは脱原発運動の象徴的な場所として知られており、団体側は、立ち退きを拒否する方針だ。今後、国の申し立てを受けて東京地裁強制執行するとみられる。
テントは2011年9月11日、経産省をデモ隊が包囲した際に、北側の歩道に面した敷地に設置された。それ以降は約60人の中核メンバーらが交代しながら24時間常駐し、国の原発政策を批判する看板を掲げている。団体側は、テント設置は憲法が保障する表現の自由だとし、国の提訴は意見表明の妨害を狙っており違法だと訴えていた。
8月2日、市民団体「経産省前テントひろば」の代表者の1人、淵上太郎さん(73)は、「司法のやったことで想定の範囲内だ。非暴力不服従の精神で最後まで戦う」と話していた。
判決では約5年間の敷地使用料と、年5%の遅延損害金の計約3800万円の支払い命令も確定。すでに供託金として裁判所に支払っている500万円を除く分が代表メンバー2人に請求される見込みだが、淵上さんは「預金通帳には2人合わせて3000円しか残っていない。ない物は払えない」とコメントしている。