週のはじめに考える 宿営地共同防衛は合憲か - 東京新聞(2016年7月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016072402000152.html
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安全保障関連法の施行に伴い南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された自衛隊の武器使用範囲が広がりました。解説しつつ考えてみます。
政府は南スーダンの自立のためのPKOに二〇一二年一月から陸上自衛隊を参加させ、施設科部隊を中心とする三百五十人が道路補修などに従事しています。今月上旬、自衛隊のいる首都ジュバで大統領派と副大統領派との間で戦闘が発生、自衛隊は外での活動を中止して宿営地にこもりました。
日本の国際協力機構(JICA)は自力で脱出、日本大使館の四人は急きょ派遣された自衛隊機で南スーダンを離れました。

◆改正PKO法で可能に
気遣われるのは居残った自衛隊の安否。現在は宿営地内の施設工事や戦闘を逃れて宿営地に入った地元住民の生活支援をしています。宿営地が攻撃された場合、自衛隊はどうするのでしょうか。
これまでPKO部隊の自衛官は自分や近くにいる同僚、管理下に入った者を守るための武器使用しか認められていませんでした。安保法のひとつの改正PKO法が施行され、宿営地の囲いの中に一緒にいる他国軍を守るための武器使用ができるようになりました。
結果的に他国軍とともに宿営地そのものを守ることになります。これを「宿営地の共同防衛」といいます。攻撃してくる武装勢力が国や国に準じる組織なら海外での武力行使にあたり、憲法九条違反のおそれが出てきます。
一三年十二月、最初に起きた大統領派と副大統領派による武力衝突の際、自衛隊はPKO本部から宿営地の防衛強化を求められました。その中に「火網(かもう)の連携」、すなわち発砲して弾丸の網を張り巡らせることが含まれていました。
陸上自衛隊研究本部は「教訓要報」の中でこう報告しています。

◆時間不足の国会論議
「『火網の連携』の実効性を高める上で隣接部隊間の相互支援は不可欠である。しかし、我が国の従来の憲法解釈において違憲とされる武力行使にあたるとされていた」。だから「火網の連携」は実施しなかったというのです。
では、なぜ「火網の連携」もあり得る「宿営地の共同防衛」は合憲になったのでしょうか。
入手した改正PKO法をめぐる内閣官房の想定問答にはこうあります。「宿営地は最後のとりで」「宿営地を防護する要員は相互に身を委ねあって対処する関係にあり、自己保存型の武器使用権限を認める」「自己保存のための武器使用は自然権的権利であるため相手が国または国に準じる組織でも憲法九条の禁じる武力行使にはあたらない」。宿営地の他国軍を守るのは自然な権利、だから合憲だと三段論法で主張しています。
防衛省幹部は「宿営地の囲いの中であれば一キロ、二キロ離れた他国軍を守るために武器使用しても合憲」と解説します。そうでしょうか。大統領派や副大統領派には正規軍が含まれます。軍と撃ち合っても武力行使にならないなんておかしくありませんか。PKO参加の自衛隊は自己保存を大義名分に交戦可能となっていたのです。
安保法は十一本もの法案を審議したにもかかわらず、わずか四カ月で成立。憲法解釈を変更した集団的自衛権行使の議論に多くの時間が割かれ、野党の追及はPKOの変化にまで及びませんでした。
南スーダンにいるのは五月に派遣された北海道の部隊です。派遣前、中谷元防衛相は参院選への影響を避ける狙いからか改正PKO法で実施可能になった「駆け付け警護」とともに「宿営地の共同防衛」も「任務として与える予定はない」と明言しました。
法律上、「駆け付け警護」は閣議決定される実施計画に任務として書く必要があり、確かに書かれていないので実施できませんが、「宿営地の共同防衛」は別です。「改正PKO法の施行と同時に実施できる」(内閣府国際平和協力本部)うえ、首相がさだめた実施要領でも実施可能となっている。
その点を指摘すると防衛省は見解を出してきました。「突発的な事態の発生に際しては、実際に発生する個別具体的な状況を踏まえ、その時点で実施可能な任務を適切に果たしていく所存です」。できる範囲のことはやるという意味で「宿営地の共同防衛」を排除していません。結局は現地部隊の裁量に委ねられているのです。

◆現地部隊の裁量次第
東西二キロの宿営地にいるPKO部隊はルワンダ軍、エチオピア軍など。自衛隊は十分に意思疎通できているでしょうか。日本政府を頼っても無駄です。公式見解通りなら「任務としては与えていないが、法的には可能だ」と答え、暗に自分たちで判断するよう求めるに決まっているからです。