悲しい歴史を見つめて 両陛下フィリピンへ - 東京新聞(2016年1月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016012602000127.html
http://megalodon.jp/2016-0126-0938-29/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016012602000127.html

天皇、皇后両陛下は二十六日からフィリピンへの慰霊の旅へ向かわれる。太平洋戦争の激戦地だった。悲しい争いの歴史をわれわれも見つめ直したい。

<戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ>

新年の宮中行事歌会始の儀」で詠まれた天皇陛下の歌である。昨年四月に訪れたパラオペリリュー島で西太平洋戦没者の碑に供花した際、やはり多くの戦死者が出たアンガウル島に向かって拝礼した。その情景を詠まれたのだ。陛下が強く希望された訪問地で、戦後七十年の節目となった「慰霊の旅」だった。
◆終わらない戦後処理
この旅については、昨年十二月の八十二歳の誕生日での記者会見でも次のように述べられた。
アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。(中略)先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います」
島の海には無数の不発弾が沈んでいる。その処理が今も行われており、安全になるまでには時間がまだまだかかる。戦後処理は終わっていない。そのことを「慰霊の旅」でお知りになったのだ。
「この一年を振り返ると、さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした一年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」
この言葉も誕生日に述べられた。陛下にとって、戦後七十年の一年は戦争の記憶を蘇(よみがえ)らせるものだったのだろう。年とともに風化しつつある戦争について、あらゆる世代に学んで知る重要性を訴えられたのだと思う。むろん将来の世代にもそれが求められる。
◆戦争の歴史を学ばねば
天皇、皇后両陛下は戦後五十年の一九九五年には長崎や広島、沖縄、東京都慰霊堂を訪問された。戦後六十年の二〇〇五年には米自治サイパン島を訪問している。
皇太子時代の七五年に初めて沖縄を訪問したときには、ひめゆりの塔で過激派の火炎瓶を受けた。その際「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉であがなえるものではない」との談話を出された。そのお言葉通り、両陛下の犠牲者への祈りは戦後五十年、六十年、七十年と重なるたびに深まっているように感じられる。
一昨年の集団的自衛権行使容認の閣議決定や昨年の安全保障法制の制定など、安全保障をめぐる情勢は大きく転換した。戦争をできない国からできる国へと日本が変わった。戦争をする国へと進みかねない状況にもあろう。
その政治の動きはともあれ、両陛下が節目節目の会見で歴史を学ぶ大切さと平和の尊さを強調される。歴史の記憶の継承という、ご自身ができることの中で精いっぱいの思いを「お言葉」に込められているようにも感じられる。
例えば昨年の年頭には「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と指摘された。八月十五日の全国戦没者追悼式でも「さきの大戦に対する深い反省」という過去に例のない表現を加えられた。お気持ちがそのまま表れていよう。
今回フィリピンを訪問するのは、歴代天皇で初めてである。
国交正常化六十年にあたる友好親善であるが、もちろん日本とフィリピン両国の戦没者を慰霊する意味もある。両陛下の強い意向で実現することになったからだ。
何しろレイテ沖海戦ルソン島の戦いなどで多くの日本兵や米国兵、現地の人々が犠牲になった。日本人は約五十二万人が亡くなっている。米国人は約一万五千人。フィリピン人の犠牲者は百十万人を超える。すさまじい数字にあらためて驚きを禁じ得ない。
フィリピンの戦没者らをまつる英雄墓地の「無名戦士の墓」に花輪を供えて拝礼するほか、厚生労働省がラグナ州カリラヤに建立した「比島戦没者の碑」に供花する。遺族代表らとの懇談もある。
◆過去を忘れないように
陛下には日本の将来への心配がある。「次第に過去の歴史が忘れられていくのではないか」との思いだ。即位二十年の記者会見で語られた。重要な指摘である。
両陛下は戦争犠牲者に対する慰霊を生涯をかけて行っておられるのであろう。われわれもまた、過去を忘れず、平和を志向して争いの芽となるものを摘み続ける努力が求められている。
数々のお言葉からにじんでいる平和に対する願いを共有したいと思う。