サダコの鶴、我孫子に 広島・平和記念公園の「原爆の子」モデル:千葉- 東京新聞(2015年11月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201511/CK2015112602000171.html
http://megalodon.jp/2015-1126-1019-06/www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201511/CK2015112602000171.html

広島市平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルで、原爆症により十二歳で亡くなった佐々木禎子(さだこ)さんの作った折り鶴が、親族から我孫子市に寄贈されることが決まった。首都圏では初めてで、国内では沖縄県沖縄市広島市など五市目。来月六日に市内で記念式典が開かれる。 (三輪喜人)
禎子さんは二歳のときに広島の自宅で被爆。運動好きの少女だったが十年後に白血病となり、亡くなった。悲しんだ同級生らが募金を呼び掛け、原爆で亡くなった子どもたちを慰霊するため像が作られた。
闘病中、回復を願って千羽以上の折り鶴を作ったという「サダコの鶴」の話は、原爆の悲惨さを伝える物語として国内外に広がった。
兄の雅弘さん(74)と次男でシンガー・ソングライターの祐滋(ゆうじ)さん(45)は、平和のために禎子さんが折った鶴を世界に寄贈する活動をしている。今月には、原爆投下を命令したトルーマン米大統領を記念する米中西部ミズーリ州の図書館に贈った。
雅弘さん親子と我孫子市との縁は二〇一〇年。市が作成する平和教育の小冊子に、コメントを依頼されたことがきっかけだった。
翌年には祐滋さんが、市の平和イベントに招かれるなど交流が続いた。親子は、毎年夏に中学生を被爆地へ派遣するなど、市の平和への取り組みぶりを見て、市が「サダコの鶴」を伝える首都圏の拠点になるよう期待し、寄贈を決めた。祐滋さんは「市が平和事業に積極的で、戦争の記憶を風化させないために希望が持てた」と話す。
折り鶴は来月十二日から、同市若松のアビスタに展示する。寄贈式は六日午後一時、同市本町三のけやきプラザで。雅弘さんと我孫子中学校演劇部が、禎子さんの生涯を描いた朗読劇を披露する。
祐滋さんのコンサートもあり、禎子さんの思いをつづった曲「INORI」を演奏し、市内の中学校吹奏楽部や音楽グループが出演する。戦後七十年の今夏、広島市の平和記念式典に派遣された中学生二十四人の報告会もある。イベントは入場無料。問い合わせは、市企画課=電04(7185)1426=へ。