「原爆の絵は語り部」 平和運動に尽力の村松七郎さん死去 - 東京新聞(2015年11月3日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201511/CK2015110302000119.html
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広島の被爆者がその体験を描き残した「原爆の絵」の展示を通じ、反戦平和運動に尽力した千葉県船橋市村松七郎(むらまつしちろう)さんが先月二十四日朝、老衰のため死去した。九十一歳。絵を悲劇を伝える「語り部」と位置付け、「とにかく、日本人全部に見てもらいたい」と展示開催に奔走した。一九八四年に船橋で初めて展示会を開催。毎夏に継続して開催する一方で各地にも広め、今年は県内十二地区で開催するまでに育てた。 (服部利崇)
親交のあった旧社会党の元衆院議員上野建一さん(84)は「草の根の市民運動家。貴重な人を失った」と悼んだ。
東京・浅草生まれ。四五年三月の東京大空襲で父と姉を失い、家も灰になったことが、運動の原点となった。軍隊経験もあった。
画家を志し、岡本太郎さん、安部公房さんらと「世紀の会」で前衛芸術活動も行った。子ども好きで、五九年から船橋の自宅で児童画教室を主宰。千人を超える子どもたちに、表現することの喜びと大切さを伝えてきた。
原爆の絵と出合ったのは八〇年ごろ。被爆者が記憶をたどって描いた作品を集めた画集だった。被爆から三十年は経過しているのに、その生々しさに「名状しがたい衝撃におそわれた」。
村松さんは本物を見たいと、すぐに管理する広島平和記念資料館を訪ね、展示したいと申し出た。ただ原画二千二百二十五枚の紙質は一定でなく、保管の難しい作品も。貴重な上、NHKが集めた作品でもあり、資料館は難色を示した。