特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に ノンフィクション作家・保阪正康さん(2015年9月30日)

http://mainichi.jp/shimen/news/20150930dde012010006000c.html

◇孤立、ニヒリズム避けよ
昭和史を研究している保阪正康さんに会ったら尋ねたいことがあった。「なぜ長年の禁をとうとう破ったのですか」と。
長い間、「自分の役目は歴史の検証。政治的主義主張はあえて掲げない」と自らに課してきた人だ。「右」や「左」のいずれの言説にも単純になびくような書き手になるものか、という志を曲げたことはなかった。
それなのになぜ今、安倍晋三政権が成立させた安全保障関連法に対し、旗幟(きし)を鮮明にするのだろうか。
東京都内の喫茶ルームで、あいさつもそこそこに質問した私に、保阪さんの答えは明快だった。「安保関連法案を黙って見過ごしたら、僕はこれまで何のために昭和史を検証してきたのか、と思いましてね」
静かな語り口とは裏腹に、黒縁の眼鏡の奥で両眼が鋭く光る。「安倍政権は歴史をねじ曲げ、時の内閣の一存で憲法を骨抜きにし、戦後70年かけて先達が築き上げてきたものをむちゃくちゃにしようとしている。これだけは許してはいけない」
保阪さんは2006年、安倍氏が首相に就任する前に記した「美しい国へ」を読み、「美しい」という形容詞にぞっとしたという。「形容詞を使う政治家に強い嫌悪と恐怖を感じるんです。形容詞は人を動かし、ある種の暴力へと人を追い立てるから。形容詞や美辞麗句を多用するのは、ヒトラーらが用いたファシストの手法です」。安倍首相もそうなのではと、思わずにいられなかった。
安保関連法を巡る国会論戦が、保阪さんの予感を確信に変えた。「安倍首相が、野党議員に向かって『早く質問しろよ!』とヤジを飛ばしたのを見て、1938年の国家総動員法の審議中、陸軍幕僚が議員の抗議を『黙れ!』と一喝したのを思い出しました。安倍内閣は、元最高裁長官が法案の違憲性を指摘しても歯牙にもかけない。安倍首相は内閣、つまり行政に、司法や立法を従属させようとしている。これをファシズムと言わずして、何と言うのですか」
太平洋戦争を戦った将兵たちを含む延べ4000人を取材してきた現代史研究の第一人者の目には「安倍首相が軍服を着ている」ように映るのだ。
歴史修正主義の台頭も見逃せない。「彼らは初めから旗を立てる。『日本は侵略などしていない』『太平洋戦争は聖戦だった』というように。そして都合の良い史料だけを引っ張ってきて『史実』だと言い、学者やジャーナリストが史料を基に論争を重ね作り上げてきた歴史認識を『自虐史観』と切り捨てる」
保阪さんは語気を強めた。「歴史修正主義は世界中に見られるが、それが権力と一体化したのは日本だけ。歴史修正主義は今や安倍首相や閣僚の中にまで深く入り込んでいる。実に怖いことです」
怖い、という言葉に私までぞくりとした。出版社や両親にまで取材をやめるよう圧力がかけられてもひるまず、数々の歴史ノンフィクションや評伝をものしてきた人が、「怖い」と心情を吐露するのである。
最近、保阪さんは米国メディアの記者からこんな話を聞かされた。「米国では若者がイラクアフガニスタンで戦死し、国民のえん戦気分が高まっている。そんな時『僕も手伝います!』と日本が手を挙げた。当然米国は日本に過大な期待を抱いてますよ」
保阪さんは「米国を期待させておいて、いざとなったら『後方支援しかできない』と言えるのか。安保関連法での最初の犠牲者は自衛隊の、しかも若い隊員から出るのではないか」と嘆いた後、再びその言葉を口にした。「本当に怖いことです……」
「『平和憲法を守れ』と叫べば済む時代はもう終わった」とも語る。
日本国憲法は『平和憲法』ではなく『非軍事憲法』。ところが戦後、これを『平和憲法』と称したために、すでに『平和』を手に入れたことになってしまい、人々はただ『守れ』と叫ぶしかできなくなってしまった」と護憲派の限界を指摘する。
だが、希望は失っていない。保阪さんは、安保関連法に反対する国会前の「デモ」を見て、組織動員ではない自発的な参加者の姿に心を打たれた。「民主主義が終わったのなら、また始めればいい」とスピーチした若者がいたと聞いて、深く共感した。「今回の安保関連法の議論を経て、国民はかえってシビリアン(市民)として強くなった。その点では、安倍首相に感謝しないといけない」とすら言う。
「元々、私たちの民主主義は、制度化した中での安穏としたものだった。今回の安保関連法でその『日常』が壊される、と感じたから、民主主義を始めよう、という声が生まれた。これは民主主義の『再生』ではなく??」。ここで身を乗り出し、言葉に力を込めた。「新生です、民主主義を新しく生み出すのです」
安保関連法が成立した時代を生きる処方箋について聞いた。歴史から学ぶという言葉を予想していたが、答えは意外なものだった。「できるだけ共同体に属そう」というのである。
「家族や共同生活者を持つこと。組織に属すること。愛着を感じる共同体を持つこと。つまり孤立するな、ということです。孤立すると人は自分を安易に国家と結びつけ、国がちょっと批判されるだけで自分が攻撃されたかのようにムキになる。孤立すると人は世界が見えなくなる。歴史修正主義の台頭の背景には人々の孤立があるのではないか」
2年前、保阪さんは最愛の妻を病で亡くした。「でも僕には娘がいて、昭和史の勉強会の仲間ら共同体がある。そこで主観と客観を照らし合わすことができ、考えに安定感が生まれる。しかし非正規雇用の増加を背景に孤立する人が増えれば、時代は危うくなっていくだろう」
処方箋はもう一つある。それは「ニヒリズムに陥らないこと」。永井荷風の「断腸亭日乗」を例に挙げ、「理知派、理性派といわれた永井は太平洋戦争が始まった朝にも、好きにやれ、俺は知らん、という姿勢で日記をつづった。最初読んだ時は『インテリの姿だな』と受け止めたのだけど……」。
しかし、安保関連法の議論の中で「断腸亭日乗」を読み直すと、違う見え方がしたという。「結局、永井はニヒリズムに陥っていたのではないか。国が戦争に向かおうと俺の知ったことじゃない、と。昭和史に学ぶことのできる私たちは気づくべきです。もうニヒリズムが許される時代ではない。僕らはニヒリズムに陥ってはいけない。それが最低限の志です」
孤立するな、ニヒリズムに陥るな??。昭和史の教訓を知る歴史家からの、安保関連法時代を生きる者へのメッセージだ。【小国綾子】=「『平和』の名の下に」は今回で終了します。
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■人物略歴
◇ほさか・まさやす
1939年、札幌市生まれ。ノンフィクション作家。2004年、個人誌「昭和史講座」など一連の昭和史研究で菊池寛賞。「あの戦争は何だったのか」「安倍首相の『歴史観』を問う」「風来記 わが昭和史」など著書多数。