(天声人語)1997年の春、永田町では沖縄県の米軍基地用地の使用をめぐる法改正が焦点になっていた - 朝日新聞(2015年9月23日)

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1997年の春、永田町では沖縄県の米軍基地用地の使用をめぐる法改正が焦点になっていた。「沖縄政局」である。時の首相は橋本龍太郎氏。自民党に社民、さきがけ両党が協力する枠組みだった。
「自社さ」の維持か、小沢一郎氏率いる新進党自民党が組む保守同士の「保保連合」か。そんな対立の構図が浮かんでいた。自社さ派だった野中広務氏は保保派を強く牽制(けんせい)した。「傲慢(ごうまん)な自民党」が「優しい自民党」に変身する好機なのに、先祖返りするつもりなのか、と。
改正法は結局、新進党も含む圧倒的多数の賛成で成立する。当時、衆院特別委員長だった野中氏は、その「大政翼賛会」的状況に警鐘を鳴らしたが、沖縄にとっては本土の傲慢さを再び思い知るだけの結果だったろう。
とはいえ、18年前にはまだ理解者がいた。今、政権と沖縄県の関係は冷え切っている。翁長雄志(おながたけし)知事はスイスに飛び、国連人権理事会で異例の発言をした。「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」。米軍基地の集中という構造的な差別の存在を訴えた。
普天間飛行場の移設は安保問題であり、人権を扱う場での発信は理解されない。政権はそう見ている。しかし、「自国民の自由、平等、人権、民主主義」も守れないのか、という知事の主張には普遍性がある。世界に届くのではないか。
かつて野中氏が憂慮したような、「優しい自民党」とは程遠い現政権である。「あらゆる手段を使う」という知事の決意は揺らぐまい。