あす終戦の日 不戦の原点から考える - 毎日新聞(2015年8月14日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20150814k0000m070119000c.html
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長野市郊外の山中に、固い岩盤を碁盤の目のように掘って造られた総延長十数キロもの地下壕(ごう)がある。松代(まつしろ)大本営と呼ばれるこの地下壕は1944年秋から掘削作業が始まり、翌45年の敗戦時には8割が完成していたという。掘削作業には多くの朝鮮半島出身者も動員された。
松代大本営は米軍の首都上陸に備え、政府の中枢を空襲のない地に移転するためひそかに計画された。本土決戦が叫ばれる中、国民は置き去りにされようとしていた。
真夏でもひんやりした薄暗い構内には夏休みの今、多くの見学者が訪れる。「国あって国民なし」があの戦争の実際の姿だったことを、この巨大な遺物は教えている。
◇共有すべき過去とは
国が正気を失う過程で、果たして何が進行していたのか。戦後70年の節目に迎えるあすの終戦記念日を前に、改めて考えてみたい。
満州事変から太平洋戦争に至る日本の「自爆戦争」の背景には、憲法解釈の乱用があった。軍は、天皇による統帥権が三権の枠外にあるとして神聖化した。その下で言論統制が強まった。戦争に異論を唱える人間は「非国民」として排除され、社会の自由は窒息していった。
もう一つは、外交の失敗だ。中国侵略のあと、国際連盟脱退で世界から孤立した日本は戦線を東南アジアに拡大し、米国の対日石油禁輸で追い詰められると、真珠湾攻撃へと走った。外交努力を放棄して国際協調路線を踏み外し、米国の戦略と米中関係の大局を読み誤った。
6割が餓死だったとされる、戦地での230万の死。確実に死ぬことを前提とした特攻作戦。国民の命が羽毛のように軽かった時代の反省から、日本は再出発した。全ての人が自由に発言する基盤を尊重し、多様な考えが社会に生かされ、国が国民を駒として使い捨てるのではなく、国民が国の主人公である、当たり前の民主主義を持ったことが、戦後の日本の支柱だったはずだ。
昨今、憲法を頂点とする法体系をことさら軽視し、自由な言論を抑圧するような言動が政治の世界で相次いでいる。安全保障関連法案を巡って「憲法守って国滅ぶでいいのか」「日本人は軍事知らず」という物言いも、しばしば耳にする。
だが、かつてあったのは「憲法守って国滅ぶ」ではなく、憲法をないがしろにして戦争に突入した歴史である。「軍事知らず」ではなく「外交知らず」で、破滅に追い込まれたことを忘れてはならない。
戦争の「負の歴史」をいかに真摯(しんし)に振り返り、明日に生かすか。その認識において政権と国民の間に断層があっては、戦後70年の民主主義は土台から揺らぎかねない。
安倍晋三首相は、広島での被爆者との面会で「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓い」を口にした。安保法案も、戦争をせず、平和を守るためと説明されている。平和と不戦の誓いを原点にしている点では、首相も、法案に反対の世論も変わりはない。
不戦の誓いと平和という「未来」を語る言葉は、政権と国民の間で既に共有されているのである。求められるのはそれを繰り返すことではなく、「過去」を語る言葉を政権と国民が共有することだろう。
◇国民の健全さに信を
戦争には、国の中枢でそれを決める側と、殺したり殺されたりする運命を背負わされる側がある。だからこそ政治指導者は、過去の侵略と過ちを認め、再びあの時代には戻さないという強いメッセージを、信頼のおける言葉と態度で、国民に向かって語る義務があるはずだ。
「未来」をいくら雄弁に語ったところで、「過去」との決別があいまいなままでは、国民の心にも国際社会にも、決して響くまい。
日本は、二つの原爆という史上最悪の戦争被害を体験した。また、同じアジアの国々に土足で上がり込んで支配した。紛争を解決する手段として戦争がいかに愚かで、自国民も他国民も不幸にするか。被害と加害の理不尽さをどの国よりも肌で知る日本は、戦争の不条理を世界に伝え続ける、人類史的な使命があると言えるのではないだろうか。
他国を侵さず、自国を侵されず、無用な戦争に加わったりしないということ。軍事に抑制的で、可能な限り平和的手段を追求する国としての誇りを持つこと。国際情勢の変化にただ便乗するのではなく、広く長期的な視野で見極め、信頼醸成に基づく国際協調を大事にすること。それらが、戦後70年で築き上げた日本の国柄ではないかと考える。
あの敗戦を原点とする、国民の健全な国際感覚と民主主義の土壌は、「平和ぼけ」と冷笑されるような、ひ弱なものではない。政権は国民のまっとうさに信を置き、平和国家としての道を、国民とともに自信を持って歩いていってほしい。
戦後70年が重く迫るのは、戦後80年に向け、歴史を風化させてはならないとの思いがあるからだ。20世紀初めにフランスの詩人が残した「我々は後ずさりしながら未来に入っていく」という言葉のように、過去を見る視線の先にこそ、私たちの確かな未来があると信じたい。