余録:明治憲法はドイツの憲法を手本にしたといわれる… - 毎日新聞(2015年8月10日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20150810k0000m070114000c.html
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明治憲法はドイツの憲法を手本にしたといわれる。実際、起草者の伊藤博文は、かの国の憲法思想を学ぶためにベルリンを訪れている。ところが伊藤が会談した憲法学の権威、ルドルフ・グナイストは「日本が憲法をつくっても銅器に金メッキしたものに過ぎないだろう」と冷笑したそうだ。
立憲国家を目指すのは時期尚早という意味である。皇帝からも制定見合わせを勧告された。千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館で開催中の企画展「ドイツと日本を結ぶもの−日独修好150年の歴史−」で、そんなエピソードを知った。
それでも伊藤は意欲を失わなかった。枢密院の審議で「臣民の権利」を明記することに反対する意見が出ると、「憲法を創設するの精神は第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり」と反論したという。
もっとも明治憲法は強大な天皇大権を定め、国民の権利は限定的にしか認めなかった。憲法で国家権力を抑制し、国民の権利を守るという立憲主義は不十分なものだった。結局軍部の台頭を許し、悲惨な敗戦を招いた。
その反省の上に立つ新憲法は権力者に対して憲法に従う義務を課すとともに、国民の基本的人権を保障した。明治憲法ではなしえなかった立憲主義の本来の姿であろう。
ところが安倍晋三首相は「(権力抑制は)王権が絶対権力を持っていた時代の考え方」だと言う。憲法に縛られるはずの内閣が自在にその解釈を変えて安全保障法制の成立を目指す。首相補佐官や与党の衆院議員は憲法を軽視するような発言を繰り返す。これでは「やはり金メッキ」と泉下のグナイストに冷笑されかねない。

「ドイツと日本を結ぶもの−日独修好150年の歴史−」(国立歴史民俗博物館)
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/150707/i001.html