余録:私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって…- 毎日新聞(2015年07月25日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20150725k0000m070184000c.html
http://megalodon.jp/2015-0725-2120-29/mainichi.jp/opinion/news/20150725k0000m070184000c.html

「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」。亡くなった哲学者の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんの言葉である。不良少年は単なるたとえでない。トラブル続きの小、中学生時代だった。
背景には後藤新平(ごとう・しんぺい)の娘だった母との激しい葛藤(かっとう)があったという。鶴見さんによれば、母は「裕福な家に生まれた子は悪い人間になる」が信念としか思えず、鶴見さんは幼少期から「虐待」に近い異常なしつけを受けてきた。少年は母親が憎む“悪の道”を選んだのだ。
「母との体験は大切なことを教えてくれた。軍国主義が出てきた時はっきり分かった。道徳と正義と権力が一緒になってのしかかる怖さ。共産主義スターリンも同じだ」。小紙の座談会で鶴見さんは語っていた。人をからめとる権力の大義への嫌悪が骨身にしみた。
少年は15歳で渡米して大学在学中に日米が開戦、次いで米当局に無政府主義者の容疑で逮捕される。交換船で帰国したのは「負ける側にいたい」からだった。雑誌「思想の科学」で戦後思想をリードし、平和運動でも大きな役割を果たしたその後は報じられた通りだ。
鶴見さんは「自分の親指の物差(ものさ)し」を戦中派の財産だと語っている。指の幅で長さを測り、自分のこぶしで体積を見積もる。本もなく、引用もできなかった戦中派はいきなり人類普遍の問題を考えない。自分の身(み)の丈(たけ)、日常から繰り返し問題を立てていくのだという。
「彼は知っている。しかし、自分が知っているということを知らない。彼を ゆりおこせ」。鶴見さんの詩の一節である。自ら問うことを決して忘れてはいけない。哲学者の遺言に聞こえる。