視点:安保転換を問う ドイツの教訓=大木俊治 - 毎日新聞(2015年7月19日)

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◇「戦死者」を出した苦悩
第二次世界大戦で敗れた日本とドイツは戦後、ともに不戦の誓いをたて、国外派兵に慎重な姿勢をとってきた。憲法解釈を変更してこの「特別の道」から脱却したドイツは、多大な犠牲と苦悩を経験した。日本はその教訓をくみ取り、安保法制の議論にも生かすべきではないか。
ドイツは憲法にあたる基本法国防軍の役割を明記し、集団安全保障への参加も認めているが、加盟する北大西洋条約機構NATO)域外への派兵はできないというのが従来の基本法の解釈だった。これを1992年にコール政権が変更し、域外派兵に踏み切った。憲法裁判所も「連邦議会過半数の同意」を条件に「合憲」のお墨付きを与え、ドイツは旧ユーゴスラビアアフガニスタンで軍事作戦や治安維持活動に参加した。
アフガンでは想定外の事態が続いた。紛争の泥沼化で増派を迫られ、派遣規模は当初の4倍近い最大4500人に増えた。戦闘行為には参加しない前提だったが、自爆テロなどで55人の「戦死者」を出し、多くの兵士が心身に傷を負って帰国した。
またドイツ軍大佐の誤った通報による米軍の爆撃で住民百数十人が死亡し、戦後初めて「加害者」となる苦悩を経験した。それにもかかわらず、危険地帯への部隊展開を拒否したことで他の同盟国からは批判された。
こうした現実にドイツ国内では国外派兵を疑問視する声が強まり、2011年のリビア攻撃への不参加決定には派兵に反対する世論が大きく影響した。しかし、いったん出動したアフガンから撤退することはできなかった。他国との合同作戦に穴を開け、国際的な信用を大きく損なうことになるからだ。
日本が海外派兵に道を開けばドイツの経験はひとごとではなくなる。安倍晋三首相は衆院の審議でドイツの例をどう考えるか質問された際に、「アフガンのような治安状況は一般に想定されない」とはぐらかし、「想定外」の可能性を語ろうとしなかった。早稲田大法学学術院の水島朝穂教授は「ドイツの失敗例を直視すべきだ」と訴える。
ドイツは05年制定の「議会関与法」で、国外派兵する場合は原則として政府が詳細な計画を議会に提案し、承認を得るよう義務づけた。08年には憲法裁が議会同意なくトルコでNATOの監視活動に参加したケースを「違憲」と判断した。議会の決定権を重視する流れが強まっているとも言える。
日本でも国会の役割をもっと重視すべきだ。架空のたとえ話ではなく、現実を踏まえた議論をもっと重ねてほしい。(論説委員