自民党推薦の学者まで「違憲」をとなえた衆院憲法審査会、その珍事の裏側とは? (田原総一朗さん)- BLOGOS(2015年6月15日)

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先日の衆議院憲法審査会で「珍事」が起きた。出席した憲法学者3人全員が、集団的自衛権を行使可能にする、新たな安全保障関連法案について、「憲法違反」との見解を示したのだ。

野党推薦の学者が「違憲」というのはわかる。だが、早大教授の長谷部恭男さんは、与党自民党の推薦だ。その長谷部さんまで、違憲との見解を出したのだから、「珍事」以外のなんでもない。そのあたりの人選は、自民党の「脇の甘さ」が出たとしかいいようがない。

しかし、はからずもこのような事態に至った以上、自民党はいま一度、しっかりと「憲法」に向き合うべきだ、と僕は思う。そもそも、1955年に結党されたときの自民党の綱領は、「自主憲法の制定」であった。現在の憲法は、アメリカの占領下で制定されたものだ。そして、日本を占領統治していたGHQが、日本の弱体化を狙った。これは歴史的事実である。

そもそもアメリカも、独立した日本がいずれ自主憲法を制定するだろうと、考えていたはずだ。ところが、である。自民党結党以降、岸信介池田勇人ら、歴代総理大臣憲法改正を目指したものの、憲法改正の実現には至らなかった。

岸首相の場合、安保改正に対する世論の反対が想像以上に強く、内閣を総辞職せざるを得なかった。池田首相も、与党の議席が、憲法改正に必要な3分の2に足りず断念したのだ。そして池田首相は、「所得倍増計画」を掲げ、経済政策に向かうことになる。

その後、次第に自民党は「憲法改正」への労力を割かなくなるのである。なぜか。僕は、かつて宮沢喜一首相に聞いてみたことがある。「日本は自分たちで洋服を作ることは苦手なんだが、お仕着せの服を着こなすことは得意なんだよ」と、宮澤さん独特の絶妙のたとえで答えてくれた。

朝鮮戦争も東西冷戦のときも、日本人は血を流さずにすんだ。憲法9条のおかげで、日本人は派兵しなくてすんだのだ。朝鮮戦争で戦場に行くこともなく、日本が戦場になることもなかった。だから、経済復興に専念することができた。それどころか朝鮮戦争による特需があった。復興を成し遂げることができたのは、そのおかげともいえる。このときに自民党は、「憲法はこのままの方がよいのではないか」と気づいたのだ。

そして現在、憲法改正を目指して断念した岸信介首相の孫が総理大臣になった。安倍晋三さんは、祖父の果たせなかった「憲法改正」を目指している。ただ今度の憲法改正は9条ではない。環境権など、さまざまな権利について見直すという。安全保障関連については、改憲ではなく、現行憲法の枠内で整備する考えだった。ところが今回、学者たちによる「憲法違反」騒動が起きたのだ。

安倍首相が進める安全保障関連法案は、実はアメリカの要望に応えたものだ。2012年8月、アメリカは、「アーミテージ・ナイレポート」を日本に突きつけた。これは何かといえば、日本が集団自衛権を行使できるようにし、国際社会において、軍事的に、より大きな役割を果たしてほしい、というアメリカのリクエストだった。

自民党は結局、「押しつけられた」とする現在の憲法はそのままに、またもアメリカからの「押しつけ」で、日本という国のあり方を大きく変えようとしているわけだ。そこで起きた「違憲騒動」である。

この「違憲騒動」は偶然の事件だ。だが、この「珍事」によって、自民党は再び憲法と向き合わざるを得なくなるのではないか。自民党は、憲法に向き合うことをやめていた。諦めていたともいえる。その自民党が、戦後70年のいま、「戦後の総決算」をつきつけられているのだ。