雲の中の墓標 アウシュビッツ解放70周年 - Miyanichi e-press(2015年1月27日)

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きのうの午後、宮崎市街地の空にかかる大きな虹を目撃した。日差しはあったが傘なしで歩ける程度の雨が降っていた。遠くの虹は地上と雲をつなぐ架け橋のように見えた。

パウル・ツェランというユダヤの詩人の作品にこんな一節がある。

かれは叫ぶもっと暗くヴァイオリンをかきならせそうすればおまえたちはけむりとなって中空へたちのぼる

そうすればおまえたちは雲のなかに墓をもてるそこなら横になっても狭くはない

ツェランは1920年、ルーマニア領だったブコヴィナのチェルノヴィッツ(現ウクライナ領)生まれ。41年ナチス・ドイツ軍侵攻にともないルーマニアの労働収容所に送られた(「娘と話すアウシュヴィッツってなに?」現代企画室)。

引用したのは収容所を舞台にした「死のフーガ」と題された詩だ。作品に登場する「かれ」はドイツ人将校を、「おまえたち」は収容所のユダヤ人を指す。不衛生、過密、飢餓がフーガの旋律のように迫る地獄に人々がゆっくり横たわることができる場所はなかった。

昨年10月、アウシュビッツ第2収容所ビルケナウを訪れ、詩の場景を実感した。「死の門」をくぐったユダヤ人はガス室で殺され焼却され、煙突から出て行く以外に出口はなかった。大昔の話ではない。そう遠くない過去のことである。

きょうでアウシュビッツ旧ソ連軍に解放されて70年。空に雲が浮かんでいたらホロコースト被害者の墓標を想像したい。過去の記憶は人から人へ言葉や文字の架け橋で継承される。虹のようにはかないが無数に架かれば大きな力になる。

娘と話すアウシュヴィッツってなに?

娘と話すアウシュヴィッツってなに?