戦後69年「戦前のにおい」 体験者、次世代へ警告-東京新聞(2014年8月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014081690070033.html
http://megalodon.jp/2014-0819-1027-12/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014081690070033.html

伯父が海外で戦死した板橋区前原隆重さん(84)は小学校に入学したころ、出征兵士を駅の広場で見送ったことを思い出す。「きっぱりと敬礼をして行く人もいたが、泣き崩れる者もいた。家族や周りの人たちも肩を震わせて泣いていた」

金子真さん(76)は戦中、中国・上海の小学校に入学した。「日本国内ほどではなかったと思うが、富国強兵、八紘一宇(はっこういちう)と教わった」という。
軍備を強くし、アジアを統一するという目標を、子どものころから刷り込まれた。
特定秘密保護法などに「戦前に戻りかけている」ような不安を感じている。「国の体制や思想を統制しようという意図があるのではないか、という印象が拭えない」

漆原貢一さん(78)も、解釈改憲を推し進める動きに「このままでは戦争に引きずられてしまう。国民が巻き添えになる」と危機感を持つ。一九四五年三月の東京大空襲で父母と幼い弟妹三人を亡くした。新潟に疎開していた漆原さんは九歳にして独りぼっちになり、声も涙も出なかった。

福島県会津若松市来栖会津子(えつこ)さん(70)は、生まれる前に父が出征しフィリピンで戦死。名前には「会津のような平和な世の中に生きられる子どもになるよう」という父の願いが込められている。今の政治の動きは「戦没者たちの声を聞いているようで、聞いていない」と感じる。「弔う方法は、平和であることしかないんです」

東京都台東区浅草寺。夕闇の本堂に戦没者らを慰霊する灯籠の炎が揺らいだ。同区の吉田郁子さん(77)盛岡市出身。女学生の姉二人は、過酷な軍需工場勤務で病死。家業の酒店が焼け、心労がたたった母も終戦翌年に亡くなった。「若者は危機感を持って、戦争をなくそうと声を上げてほしい」