筆洗 一本の映画を見た気がした。二日の米映画アカデミー賞授賞式-東京新聞(2014年03月02日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014030402000122.html

一本の映画を見た気がした。二日(日本時間三日)の米映画アカデミー賞授賞式。「ダラス・バイヤーズクラブ」でエイズに感染した同性愛者を演じ、助演男優賞に輝いたジャレッド・レトさんの受賞スピーチが心に残る。
緊迫が続くウクライナ情勢に触れたことだけではない。「一九七一年。ルイジアナ州のある町。一人の少女がいた。妊娠した。高校を退学した。そしてシングルマザーになった。なんとか、ましな生活を送った。子どもにはこう勇気づけた。創造的に。何か特別なことを。これが自分の母親なのです」。
経済的には必ずしも恵まれなかった過去を率直に口にして胸を張る。「過去」。レトさんのスピーチや受賞作品を見るに今年のアカデミー賞のキーワードはこれだった気がする。
「ダラス−」の背景は八〇年代のエイズ禍。作品賞には黒人のスティーブ・マックイーン監督の「それでも夜は明ける」。原題をそのまま訳せば「十二年間の奴隷」である。
十九世紀。誘拐され、奴隷にされた黒人男性を描く。米国にとって「暗部」かもしれぬ。この黒人監督が作品を気に入らぬ人物から差別的なやじを投げつけられる事件も起きている。
過去や「暗部」とどう向き合うか。直視するか。なかったことにするか。米映画は日本で不振とも聞くが、二作品の栄誉を考えれば、ハリウッドはまだましかもしれない。