筆洗 椎名誠さんのデビュー作『さらば国分寺書店のオババ』-東京新聞(2014年2月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014022402000128.html

椎名誠さんのデビュー作『さらば国分寺書店のオババ』(一九七九年)は古本屋のオババと若き日の椎名さんとの「対決」を描いた「昭和軽薄体」の代表作である。オババが時に腹立たしくも魅力的である。
立ち読みの若い客を容赦なく叱る。無礼な客には「二度と来るな」と罵倒する。怒りにはもちろん理由がある。一冊一冊がわが子のようにかわいい。本をぞんざいに扱う人間が許せないのだ。本には神様が住んでいるとオババがいう。「昔は、またいだだけで叱られたもんだ」。
オババならすすり泣くだろう。東京都内の図書館が所蔵する「アンネの日記」と関連本が切り裂かれた。ユダヤ人迫害の日々を描いた本の被害は、三百冊を超える。誰も死んでいない。「紙」が破られたにすぎない。それでも事件に身を引き裂かれるような痛みを感じるのはなぜか。
どんな本も人類の「記憶」である。人が生きた証し。切り裂かれたのは紙ではなく、それはやっぱり人であり、心なのだ。
レイ・ブラッドベリの『華氏(かし)451度』は本の所持を禁止した世界を描く。題名は本が燃える温度。本という記憶、記録を許さぬことで市民を支配する国家。本を守ることは、人類を守ることである。
心配なのは、本を破った「君」である。なぜ黒い心に支配された。「どうして」。裂かれても笑ったままのアンネ・フランクの写真が尋ねる。