新年を迎えて  民主主義の幹を太くしよう-京都新聞(2014年1月1日)

http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20140101_2.html
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東アジアの緊張の高まりとともに「国家」が大きくせり出してきている。安倍政権は、有事即応態勢の強化に向けて外交・防衛の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)や情報統制を強める特定秘密保護法を整備し、教育や安全保障に「愛国心」を持ち込んで「強い国」を目指している。

国民のための国家から、国家のための国民へ。そんな危うい流れが、この国に生まれていないだろうか。もしそうだとしたら、私たちは主権者としてブレーキをかける力を持ち得ているだろうか。

「選挙」などのドキュメンタリー作品で知られる映画作家想田和弘さんは昨年11月、「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」(岩波ブックレットという挑発的な題の本を出版した。

その中で、政治家は政治サービスの提供者であり、主権者は投票と税金を対価にした消費者、そう考える「消費者民主主義」の病が日本の民主主義をむしばみつつあるのではないかと問うている。

国民が政治に受け身になっている状態は「おまかせ民主主義」とも言われるが、その行動がより一層「消費者的」になってきたとすれば、何を意味するのだろう。

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いったん「消費者的病理」に陥った主権者が、自覚を持って政治に主体的にふるまうようになるのは容易ではない。処方箋も難しいだろう。だが一歩を踏み出さない限り、政治は暴走する。そのことに自覚的でありたい。選挙で一票を投じるだけでなく、街頭でデモをすることも、わいわい自由にしゃべり合うことも、憲法が保障する、民主主義を空洞化させないための大切な行動である。

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かつて日本の独立に際し、全面講和や非武装中立を唱えた主張に「非現実的だ」という非難が浴びせられた。この時、政治学者の故丸山真男氏は「『現実』主義の陥穽(かんせい)」というエッセーの中で「現実たれということは、既成事実に屈服せよということにほかならない」と反論。「現実だから仕方がない」という思考様式が、戦前・戦時の指導者層に食い入り、ファシズムに対する抵抗力を内側から崩していったのも、まさにこの「現実」観だったと喝破した。

現実を「仕方がない」とあきらめず、平和主義の原点に立って考え抜く。その力が試される年になるかもしれない。民主主義の幹を太くしたい。