1989年と今の世界 民主と自由の命脈を保て - 朝日新聞(2019年1月3日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13834244.html
http://archive.today/2019.01.03-010152/https://www.asahi.com/articles/DA3S13834244.html

世界は一夜にして、がらりと変わることがある。
1989年11月の「ベルリンの壁」の崩壊は、まさにそんな出来事だった。翌月、米ソ首脳が地中海のマルタ島で会談し、「冷戦の終結」が宣言された。
東西の分断から、一つの世界へ。その希望に満ちたうねりの原動力になったのは、民主主義と自由をはじめとする理念だった。あれから今年で30年。世界はいかに変わったか。あのときの理念はどこへ行ったのか。

■試されるEUの理念

ベルリンの壁が崩れた翌日、東ドイツに住んでいた35歳の女性物理学者が、西ベルリンにある高級デパート「カーデーヴェー」を訪れた。
「見るものすべてが新鮮で、欲しいものばかりだった」
彼女の名前はアンゲラ・メルケル。のちに統合ドイツの首相となったメルケル氏は、その日に「自由」というものの大切さを心に刻んだと語っている。
冷戦後、欧州は統合の流れを加速させた。欧州連合(EU)は民主主義と自由の原則のもとに拡大を続けた。主導的な役割を果たしたのは、メルケル氏のドイツだった。
ところが近年、EUの歩みは混迷している。背景にあるのは、移民問題を機に各国で高まった排外的なポピュリズムナショナリズムだ。「民主主義の後退」との言葉も聞こえる。
EU脱退で揺れる英政権、労働者らのデモが続くフランス。メルケル氏も昨年、地方選の敗北などで党首を辞任した。
ブルガリア政治学者イワン・クラステフ氏は近著で、EUの今後を憂えている。
いわく、欧州の理念はまるで日本の携帯電話技術のように「ガラパゴス化」している。質の高さに自己満足しながら世界には普及せず、隔離された進化にとどまっていないか――。

■理想と現実の相克

ユーラシア大陸の反対側に目を転じれば、89年に中国で天安門事件が起きた。民主化を求めた学生らが武力弾圧された。
国際社会はそれでも、中国の経済発展を後押しした。「豊かになれば、民主化が進む」。そう信じたからだ。
だが、今に至るも中国に政治改革は見えない。世界第2の経済大国になってなお、共産党の一党支配は強固になっている。対外的に軍事や金融パワーをふるう拡張路線も目立つ。
呼応するかのように、米国では「力による平和」を唱えるトランプ政権が登場し、中国との対立の色を深めている。
皮肉なのは、かつて中国の民主化を画策した米国が、自らの民主主義を傷つけ、世界の自由への関心も失っていることだ。
ロシアのクリミア併合をはじめ、法の支配にも揺らぎがみられ、各地で自国第一主義が広がっている。トルコやブラジル、フィリピンなど、民主的な選挙制度の国で、強権的な指導者が続出している。
冷戦を勝ち抜いたと思われた民主主義と自由の理念が今や、敗北しようとしているのか。
英国の歴史家、E・H・カーは、国際政治において理想主義は常に現実主義に否定されてきたと指摘した。ただ、現実の追認だけでは何も生まれないのも歴史の教訓だという。
だから、理想は絶えることなく語られなければならない。なぜならばそれは「人間の思考がはじまる本質的な基盤」だからだ、とカーは説く。
敗戦後の日本は国連加盟を果たした翌年の57年、初めての「外交青書」を発表した。このなかで示された3原則は、(1)国連中心(2)自由主義諸国との協調(3)アジアの一員としての立場の堅持――だった。
実際には歴代政権は対米追随にほぼ終始してきたが、3原則は長らく日本外交の大方針であり続け、今も色あせない意味合いを持つ。

■戦後日本と国際協調

なかでも、国連などの多国間枠組みを軸とする国際協調主義は、戦後日本の外交の芯とも言うべきものだ。
強国が力で何かを決めるのではなく、多国間で話し合い、合意でルールを決めていく。戦争という最も露骨な力のぶつかり合いを経験した日本にとって、それは目指すべき国際社会の姿にほかならない。
今、米国がその国際主義に背を向けるならば、日本はこれを正すべきである。過度の対米依存を見直し、EUとの連携を深めたい。欧州の理念を「孤立」させず、共通の原則を守る責務を日本も果たさねばならない。
安定的な平和秩序づくりが求められるアジア外交も、強化するときだ。多極化する世界に広く目配りし、筋の通った外交が紡げるかが問われている。
民主主義と自由はいわば、理想社会の実現を信じる永遠の営みであり、現実の壁に屈しない挑戦の道程に価値がある。世界が変化の波に洗われる今だからこそ、理念を見失うことのない日本外交を築きたい。

「新時代」への指針《2》 多文化共生の土壌育もう - 北海道新聞(2019年1月3日)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/263798
http://archive.today/2019.01.03-010012/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/263798

日本で暮らす外国人が、増え続けている。
経済協力開発機構OECD)の統計では、2016年の日本への移住者は42万人を超えた。加盟35カ国でドイツ、米国、英国に次いで4番目に多い。
法務省によると、在留外国人は18年6月末時点で約264万人に上っている。
一方、外国人労働者の雇い止めや不法就労のトラブルが各地で起きている。技能実習生を巡る低賃金や長時間労働の横行といった問題も明らかになった。
なのに、政府はこうした事態を正面から見つめないまま、入管難民法を改正し、4月から新在留資格による外国人労働者の受け入れを拡大することを決めた。
理由は「人手不足」である。
日本に呼び込む外国人を「人」ではなく、「労働力」としてしか見ていない。そう批判されても仕方なかろう。
これでは「選ばれる国」にはなり得ないのではないか。
まず必要なのは、外国人と日本人が共に暮らす多文化共生社会づくりの視点である。

■問題多すぎる改正法

改正法に基づく新資格の特定技能1号について、政府は5年間で34万人の取得を見込んでいる。
在留期限は5年で、実習生から移行すれば最大10年滞在できる。
ただ、人手不足が解消すれば、受け入れを停止することができる仕組みになっている。しかも家族は帯同できない。
熟練技能が必要な特定技能2号は、期限が更新できて家族を帯同できるが、極めてハードルが高い。事実上、家族と一緒に暮らすことを拒絶する姿勢が見える。
同じ社会で生活する隣人として迎え入れる姿勢が欠けている。
日本で生活するには、最低限の会話が不可欠だ。医療や社会保障、住宅、労働などさまざまな権利を保障する必要もある。
ところが、改正法はその手段を政省令に委ねた。昨年まとめた総合的対応策も不十分だ。
これでは労働者はもちろん、同じ地域で暮らす人々や雇用する側の不安も解消できまい。
さらに問題なのは実習生の問題が置き去りにされていることだ。
ブローカーに多額の保証金を支払って来日し、劣悪な労働に苦しみ、失踪者も後を絶たない。
17年までの8年間に事故や自殺などで174人が死亡したことが法務省の調査で分かっている。
新制度では、実習制度と同様「日本人と同等以上の報酬」と定めるが、説得力がない。人権上の観点からあまりに問題が多すぎる。

■種まく努力欠かせぬ

政府の泥縄式の対応に比べ、多文化共生に取り組む先進的な自治体もある。
上川管内東川町の日本語学校は15年開校の全国初の公立校だ。
09年から始めた日本語研修を含めると、ここで学んだ人は18カ国・地域のべ約2800人に及ぶ。
町の目標は、世界に開かれた町だ。手厚い奨学金で留学生を支え、町の魅力を知ってもらい、気に入ったら定住してもらう。
交流人口が増えれば、地域経済の活性化にもつながる。
5カ国に町の現地事務所を置き、悪質なブローカーの介在や出稼ぎ留学生を防ぐ。地に足のついた政策展開と言える。
重要なのは、町民も外国人から学ぼうとしている点だ。
国際交流員や留学生と海外の料理を作るイベントや外国語講座などに参加し、4歳児から高校生まで異文化理解を深める独自の教科「グローブ」の授業を受ける。
町への定住者や、ホテルやメーカーなどで働く人も出てきた。
こうした種を地道にまき続ける努力が欠かせない。
川崎市では、外国人市民代表者会議を設置し、その政策提言を生かして外国人の入居差別を禁じる条例などを実現させた。
外国人の声をまちづくりに反映させる意欲的な試みである。

■多様性は活力の源泉

大切なのは、多文化共生社会の土壌を育むことだ。
日本人と外国人が互いに尊重し合い、共により良い社会を築く構成員と捉える必要がある。
多様性のある社会は、異なる文化を融合させ、創造力豊かな人材を生む源泉となろう。
閉塞(へいそく)感を打ち破り、政治や企業、文化、スポーツなど各界に新しい風をもたらす。
少数者の暮らしやすい多文化共生社会は、誰もが暮らしやすい社会にもつながる。
移民の問題も、国会などで正面から議論する必要があろう。
財界の求めに応じて「安価な労働力」として外国人を受け入れる一方、「移民政策ではない」と建前を唱え続けるだけでは、共生はいつまでも実現しない。