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ウクライナの国民的詩人シェフチェンコは十九世紀の帝政ロシア時代を生きた。ロシアの一部とされたウクライナの人々の悲しみや憂いを書いた。
農奴の子に生まれ、政治犯として流刑にもなった。自由に過ごせた年月の限られた生涯は、長く独立できなかった祖国の歴史にも似る。詩「遺言」はこう始まる。
『わたしが死んだら、
なつかしいウクライナの
ひろびろとした草原にいだかれた
高き塚の上に 葬ってほしい。
果てしない野の連なりと
ドニエプル、切り立つ崖が
見渡せるように。』人々を鼓舞するくだりもある。
『わたしを葬り、立ちあがってほしい。
鎖を断ち切り、
凶悪な敵の血潮で
われらの自由に洗礼を授けてほしい。』(藤井悦子訳)遺言通りに詩人が眠るドニエプル川沿いの丘にも、銃声は響いているだろうか。ロシア軍のウクライナ侵攻は続き、この川が育んだ首都キエフに戦車が迫ったと伝わる。ウクライナ軍の劣勢は否めないよう。戦地を染めているのは<凶悪な敵の血潮>より、同胞のそれが多いのか。
藤井氏の解説によると、かの詩人の最初の詩集の名前は「コブザール」。琵琶に似たウクライナの楽器コブザを奏でる吟遊詩人のことで、故郷の語り部であろうと名付けたという。琵琶法師の平家物語が伝える世の儚(はかな)さのごとく、詩人の国の自由が危うく見えることに心が重い。