【政界地獄耳】自民党最後のクリーン首相が… - 日刊スポーツ(2022年1月15日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202201150000037.html

★元首相・海部俊樹が死去した。海部政権は1989年から91年まで2年3カ月の期間だったが、その間にベルリンの壁崩壊、湾岸戦争など世界が大きく動いている時期だった。三木派に属し三木武夫が首相の時に官房副長官に抜てきされ自民党内で頭角を現した。そもそも自民党の当時の力学では三木内閣が生まれることはなかったかもしれないが、首相・田中角栄が金権疑惑で退陣。自民党は清廉でクリーンな三木を擁立するしかなかった。

★海部首相誕生も同様の環境にあった。既に首相・宇野宗佑は女性スキャンダルと各派閥の領袖(りょうしゅう)、幹部連中はリクルート事件で謹慎の身。消費税導入もあり国民は政治不信の中にあった。宇野で戦った参院選自民党過半数割れになる。金集めにたけていなかったのかクリーンな海部に後継首相の座が転がり込む。首相秘書官に抜てきされたのは海部の大学の後輩で日本航空燃料部長だった金石清禅湾岸戦争ペルシャ湾派遣などでは独自のチャンネルで海部を支えた。

★海部内閣は当時の元首相・竹下登竹下派会長・金丸信、幹事長・小沢一郎の傀儡(かいらい)のようだったが、海部の人気は高かった。とにかく話がうまく座持ちがいい。誰をも引き込む話術は早大雄弁会で鍛えられたか。だが、ほかの雄弁会OB政治家の比ではない。サミットで各国首脳を笑わせ、庶民の話題にもたけていた。テレビや雑誌に積極的に出演する政治家のさきがけでもあった。海部おろしで政権から引きずり降ろされる時も支持率は50%あった。少し乱暴に言えば自民党最後のクリーン首相と名付けてもいいかもしれない。自民党穏健保守政治家として難しい時期のかじ取りを任された希代の政治家だった。晩年、自民党に復党し、歴代総裁の額縁が並ぶ中に戻された。遺族は自民党葬を断ったと聞く。(K)※敬称略