<南風>海上の道 - 琉球新報(2022年1月14日)

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日本民俗学の開拓者、柳田国男は日本人像を求めて沖縄にも赴いた。その折に見いだしたのが「海上の道」である。いにしえの日本人は黒潮に沿って琉球弧の島々を巧みに往来し文化文明を伝えた。往来の原動力は海流と風だ。世界一の流量と速度を誇り、日本列島沿いを北上し、太平洋に去って行く黒潮に乗れば、台湾から本州まで達する。島伝いに荒天を避けて北東の季節風を利用すれば、九州から南下でき、大陸へも渡れる。夏の訪れとともに南西風に乗れば、沖縄に帰ることもできる壮大な道だ。

黒潮は多くの支流・反流を従えていて、一つは小笠原諸島に達する。昨年8月小笠原諸島で発生した噴火による大量の軽石は、その後琉球列島に漂着した。天災として多くの経済被害が注目されるが、期せずして道の一つを可視化した。

かつて、この流れに僧侶を乗せて即身成仏を期した風習があった。民衆を浄土へ先導する補陀落(ふだらく)渡海と呼ばれ、和歌山の補陀落山寺を後にした渡海船は戻ることはない。まれに循環流に乗り琉球に漂着することもあり、禅鑑が補陀落山極楽寺を日秀が金武観音寺を建立したとされる。

人も生き物も同じ道をたどっている。熱帯起源の海の生き物たちも黒潮に乗って、北の新天地にたくましく広がってきた。黒潮のぬくもりはサンゴや多くの生き物たちを冬の寒さから守り、定着を促してきた。黒潮は時に蛇行し沖に去り、冬の沿岸に取り残された生き物が絶えるといった事件を繰り返しながら、土地土地の生き物達のバランスが保たれてきた。

近年の温暖化は生き物の北上を一気に押し上げバランスを崩すばかりか、南の起点も破壊しつつある。道に沿って、軽石は夏を告げる夏至南風と共に去るらしい。気候変動という人災は道沿いの風景を一変させようとしている。
(中野義勝、沖縄県サンゴ礁保全推進協議会会長)