(余録)「科学者として学問を愛するより以前に… - 毎日新聞(2021年7月31日)

https://mainichi.jp/articles/20210731/ddm/001/070/175000c

「科学者として学問を愛するより以前に、まず人間として人類を愛さなければならない」。81歳で亡くなったノーベル物理学賞受賞者の益川敏英(ますかわ・としひで)さんは恩師の坂田昌一(さかた・しょういち)博士の書を常に研究室の壁に掲げていた。
湯川秀樹(ゆかわ・ひでき)博士らと並び称せられた物理学者。高校時代に地元・名古屋大学の坂田氏の業績を知ったことが学問を志すきっかけだった。「自分がいる場所で科学が作られている」と感じ、「交ぜてもらおう」と思ったそうだ。
坂田研究室では業績や年齢に関係なく「さん」で呼び合っていた。そんな自由な空気の中で議論をたたかわせ、素粒子論の研究を進めた。誰にでも議論を挑み、「いちゃもんの益川」と呼ばれたこともあったという。
ノーベル賞受賞決定直後の会見で「大してうれしくない」と答えた辺りに若き益川さんの片りんがうかがえる。発表直前に一方的に電話をかけてきたノーベル財団の「エラそうな態度」にカチンときたそうだ。権威にこびない姿勢の一方で「バンザーイなんてやらないよ」とちゃめっ気も見せた。
日本語で通した受賞講演では子どもの頃の戦争体験を語った。「もう戦争体験を語れる人がいなくなる」という危機感があった。「科学者より人間として」という師の教えが体に染みついていたのだろう。
「九条科学者の会」の呼びかけ人になり、軍用と民生用の線引きが難しくなった科学研究の行方を心配していた。発言する科学者を政権が遠ざけようとする時代。第二、第三の「いちゃもんの益川」が必要だ。