(卓上四季) 通学路の記憶 - 北海道新聞(2021年7月1日)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/561871

大阪島之内の高等小学校に通っていた折口信夫松嶋屋の屋敷を見つけたのは通学路の途中だった。難波から千日前に至る辺りの侘(わび)しく細々(ほそぼそ)とした長い家裏の道にあったと、片岡仁左衛門追想した「戞々(かつかつ)たり車上の優人」にある。
路地裏、細道、家の間。通学路の記憶が友人との語らいや抜け道で出会う発見に彩られている方も多いだろう。「一里からもある通学距離を出来るだけ時間をかけて楽しんで往(ゆ)き返りした」という折口の回顧に、狭い暗渠(あんきょ)の上を歩いたころの匂いを思い出す。
千葉県八街(やちまた)市で下校中の児童の列にトラックが突っ込み5人が死傷した。歩道もない狭い道は交通量が多く、その危険性が指摘されていたという。飲酒運転は論外だが、対策の遅れが奪ったものの大きさに言葉もない。
2012年の通学路調査で全国7万4483カ所が危険箇所と確認された。スクールゾーンの時限通行止めなど、ハード整備のほかにも打てる手はある。速やかな実行が求められよう。
スクールバスが「ストップ」を表示している間は、対向車を含めて全車が停止しなくてはならない。米国で車を運転する際に教わるルールの一つだ。安全最優先の意識の徹底がうかがえる。
高度経済成長期のモータリゼーション以降、歩行者は道路の主役の座を追われた。利便性と安全のどちらを取るのか。効率を優先する中で忘れ去ったものを思い出したい。2021・7・1