<南風>最大の罪は無関心 - 琉球新報(2021年6月22日)

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昨年5月、42年におよんだ記者生活を終えた。新聞の最盛期を経験した世代だが、最後はSNS、ネットニュースの台頭や広告収入の減少などで新聞を取り巻く環境が厳しくなっている現状も目の当たりにした。
新聞の衰退は民主主義の根幹にかかわる問題で、将来を強く懸念している。テレビ、雑誌など新聞と同様、1次情報を扱う他のメディアも苦戦しており、事態は深刻だ。軍事クーデターはまずメディアを掌握するし、中国やロシアなど独裁国家をみれば健全なメディアがなくなるとどうなるか想像できると思う。
だから、特に若い世代には「マスゴミ」と揶揄(やゆ)したり、ニュースはネットで十分だなどと片付けたりせず、将来自分に跳ね返ってくる問題として、ジャーナリズムについて真剣に考えてほしいと願う。
新聞にも改善すべき点は多い。当局の発表の垂れ流し、倫理綱領に反する行為が続けば読者離れが進むのは当然だ。「新聞はどうして(週刊文春の)文春砲のように、政治を動かす特ダネを出せないのか」とよく聞かれるが、裏を返せば新聞の現状に対する、読者の不満の表れではないだろうか。ちなみに文春は発行部数を伸ばしているようだ。
ネットは分断を加速する。私も利用するので分かるが、仕組み上、自分に関心がある情報しか入って来ないのだ。従って、自分の関心のないことには必然的に無関心となる。それを巧みに利用したのが、SNSを駆使して情報発信したトランプ前米大統領だ。
そんな時代だから、関心ある情報も、ない情報も一覧でき、間違いはあってもフェイクは載らない新聞の価値は見直されるべきだ。
「人間にとって最大の罪は、他者への憎しみではなく、他者への無関心である」。アイルランドの劇作家、バーナード・ショーの言葉で最終回を締めくくる。
(大野圭一郎、元共同通信社那覇支局長)