(筆洗) 一九六四年十月の東京五輪閉幕の翌日、当時首相だった池田勇人… - 東京新聞(2021年6月20日)

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一九六四年十月の東京五輪閉幕の翌日、当時首相だった池田勇人は退陣を表明している。喉のがんが進行し、政権運営はもはや困難と判断した。
がん発見は九月。入院することになったが、側近たちはウソをつくことにした。池田の病状について「前がん状態」と発表した。がんではないのだと。自分のがんを知らなかった池田の耳に入れたくなかったのと、国政への影響を考えての一計だったという。東京五輪に影を落としたくなかったという面もあったかもしれない。
池田派の流れをくむ派閥に身を置いたことのある菅首相もまた東京五輪で無理をなさろうとしているのか。コロナ禍での五輪開催の是非でさえ、世論は分かれるのに会場に観客を入れることにこだわっているという。
専門家は「無観客が望ましい」と提言している。こちらの方が胸にすとんと落ちる。観客を入れるとなれば感染対策として政府が目を光らせていた人の流れを生む。感染拡大のリスクがある。

池田の無理とは違い、観客を入れるという菅さんの無理は国民を心配させ、苦しませる可能性のある無理だろう。国民を危険にさらしかねないバクチめいた判断は許されぬ。
専門家の意見に耳を貸さず、「観客あり」に踏み切って、感染が拡大した場合、責任をどう取るおつもりか。五輪後、「派閥の祖」の政権と同じ結末が待つだろう。無理は禁物である。