(卓上四季)「家裁の人」の遺言 - 北海道新聞(2021年5月22日)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/546687?rct=c_season

「全然意味がわからなかったけど一生懸命話をしてくれました」。漫画「家栽の人」の原作者毛利甚八さんが篤志面接委員を務めた中津少年学院で、少年が書いた感想文だ(原文はひらがな)
2003年から少年の話を聞くボランティアを始めた毛利さん。ワーズワースの詩や仏教の説話で対話を試みるが、心は開かれない。軌道に乗るかに見えたギター教室も挫折。それでも懸命に向き合う姿勢は自然と伝わったのだろう。
演奏が簡単なウクレレで弾ける喜びを知ると少年たちに表情が生まれ、作詞の呼び掛けに2人が応じた。すると歌いたいと本音を語り出す者も。見てあげると応えるものだ。07年3月にはオリジナル曲のCD録音が実現した。
14年に末期の食道がんが見つかった毛利さんが、「『家栽の人』から君への遺言」(講談社)を世に出したのは亡くなる直前の15年秋だった。無理解からくるピント外れの「少年法たたき」に我慢がならなかった。
罪を犯し社会から引きはがされる時、離れたくない愛(いと)おしい場所や人があるか、罪を犯す前にそのことを思い出せるかが少年の運命を決めると書き遺した。
1987年春に始まった「家栽の人」の第1話。少年事件の打ち合わせで主人公の桑田義雄判事が再調査を提案する。「育てなければ…、毎日愛して、そこから始めませんか」。願ったのは、少年に向き合う大人がいる社会である。2021・5・22

  

 

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