<金口木舌>戦争の落とし子 - 琉球新報(2021年5月4日)

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小欄で先週、甲辰尋常小学校の校歌を紹介したところ、卒業生という80代の読者から「歌詞が違う」との指摘があった。同窓会記念誌の記述を引用したが「海戦せしはこの時ぞ」は誤りという

▼調べてみると、1907年6月18日付の本紙記事「甲辰校の校歌制定」に歌詞が載っていた。「我が友達は甲辰の/学舎(まなびや)の名を忘るまじ/そも我が国と露国との/開戦せしはこの年ぞ」とあり、指摘通りだった
▼記念誌には同窓生の回想録も収めており、興味深く読んだ。琉球大名誉教授でひめゆり平和祈念資料館長を務めた安谷屋良子さんは「校歌に日露戦争が読み込まれているせいか、何やら男っぽい印象の学校」だったと振り返る
▼同級生の女の子に淡い憧(あこが)れを抱いたという沖縄学の第一人者、外間守善さんの回想録は読んでいて心が和んだ。明るく、健やかな学校だった。10・10空襲で焼けるまでは
疎開業務に奔走した荒井退造警察部長の沖縄赴任で1年ほど甲辰小に在籍した息子の紀雄さんは「楽しい日々が或(あ)る時から無残にも中断し、先生も友達も四散するとは」と記した。同級生名簿に多くの「不明」「死亡」の二文字を見た
▼「甲辰校は『戦争の落とし子』ではなかったでしょうか」という一同窓生の一文が胸を突く。戦塵(せんじん)の中に消えた小学校。その歴史の向こうから、子どもたちの元気な笑い声が聞こえてくる。