(政界地獄耳) 野党も自党の都合だけを言う役割に成り下がってはいないか - 日刊スポーツ(2021年4月17日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202104170000103.html

自民党幹事長・二階俊博の突然の「五輪中止もあり得る」との発言は極めて政治的なアドバルーンとの見方で与野党の考えは一致した。だが中止になっても与党の失態にはなっても野党のポイントにはならない。各野党が「当初から中止すべきと言っていた」と言い出したところで何の価値もない。ある意味、ここが与党と野党の大きな違いだ。別にその発言に責任が伴うか否かなどを問うつもりはない。野党は一体誰に何を投げかけているのかがいつもわからない。

★野党のそれは与党の発言に対して対処するだけのものなのか。対案を出せとはよく聞かれる議論だが、約10年にわたり自公政権は今までの政界では受け入れなかったような強引な方法で、例えば関連するすべての関係法案を一括して審議して丁寧な議論をしないなどの強引な政治運営をしてきた。官僚の虚偽答弁や公文書の改ざんもそれに伴う。それに抗(あらが)うばかりでは政治的生産性が低いのではないか。官僚や閣僚を攻めただし、ひれ伏させる野党の留飲を下げることが目的では国民不在も甚だしい。

★元来、野党は国民の声を背に受け、与党を正していくものだが、国民の背を受けずに自党の都合だけを言う役割に成り下がってはいないか。野党に一番足りないところは、いつもは投票に行かない者を引っ張り出すことを考えないこと。この層が動けば政権は簡単にひっくり返ることだろう。連合が言う、共産がこう考えるからではなく、政権のグダグダなコロナ対応を懲らしめに投票に行こうの一言で良いはずだ。国民は立憲民主党、国民民主党共産党、連合の都合や思惑などに興味はない。国民の声を反映し、どう変えていくか、国民の自党に都合のいい声だけを選んで、やっている感を醸し出す専売特許は与党だと思っていたが、今は野党も構造は同じだ。選挙の時だけ国民の代弁者を装うことにはうんざりだ。(K)※敬称略