<南風>2年遅れの追悼文 - 琉球新報(2021年3月30日)

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2年前の今日、ジャカルタから東京に直行、翌日とんぼ返りした。その2カ月前に71歳で亡くなった岡留安則さんの「お別れの会」に出席するためだった。
タブーなき雑誌をうたった『噂の真相』の編集長として、政治家や文化人などをめった斬りにした岡留さんは、2004年にこの月刊誌を「黒字休刊」すると沖縄に移住した。私は、彼が営んでいた酒場によく通い、住居が同じマンションだったこともあって、親しくさせていただいた。
お別れの会には、菅直人元首相の姿があった。岡留さんは、辺野古問題を迷走させた民主党政権を厳しく糾弾、菅氏にも「原発被災者や沖縄県民へのお詫(わ)び行脚でもやるべきだ」と容赦なかった。菅氏に尋ねると「権力の座にいる者は批判される宿命にあるから当然だ」と答えた。若い時、2人は新宿ゴールデン街でよく飲み、議論したそうだ。
新宿ゴールデン街は、多くの文化人が集った飲食街。岡留さんは現役時代、そこに夜な夜な出没、ネタを仕入れ、人脈を培った。私はなぜ沖縄で酒場を開いたか尋ねたことがある。「本土から知り合いが来たときに立ち寄れる場所を作りたかった」と答えたが、それが全てではないと思う。
岡留さんは沖縄からも精力的に情報発信したが、自分で聞いた生の情報にこだわった。現役時代と同じように酒場で情報収集しようと、沖縄にゴールデン街を自ら作ったのではないか。事実、店には報道関係者、学者、文化人など右から左まで幅広い客層が集い、居酒屋談義に花が咲いた。
おちゃめなオヤジだったが、反権力を貫いた優れたジャーナリストであり、仕掛け人だった。人の話をじっくり聞くのが印象的だった。教えてもらいたいことがまだまだあり、時々岡留ロスになる。今まで機会がなかったので本欄を2年遅れの追悼文としたい。
(大野圭一郎、元共同通信社那覇支局長)