<金口木舌>戦時生きた人の祈り - 琉球新報(2021年2月11日)

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満州(現中国東北部)で終戦を迎えた当時15歳の坪谷五光雄さんにとって、本当の地獄が始まったのは敗戦後だった。1945年8月9日、ソ連軍侵攻で開拓地を離れたが、日本行きの船はすでに出港していた。同15日、日本は降伏した

▼8年間にわたる抑留生活は冬の寒さと飢え、発疹チフスなどの伝染病に苦しんだ。だが坪谷さんは何とか命をつないだ。旧満州で20万人以上が亡くなったとされる
▼死と隣り合わせの過酷な環境の中、出会ったのが同じ年で満州開拓青少年義勇軍に所属する沖縄の少年たちだった。寒さと飢えで衰弱していく少年たちを励まし食料やまきを与え続けた
▼日本政府は対ソ戦に備え関東軍の兵力不足を補うために数え16歳から19歳の青少年を旧満州に送った。「沖縄にいれば、死ぬことはなかった」。坪谷さんは取材中、何度もこの言葉を口にした
▼しかし、その沖縄でも中学や高等女学校の生徒らが戦場に動員され、約半数が犠牲になった。本島北部では15歳前後の少年が護郷隊として最前線でゲリラ戦に駆り出され命を落とした
▼「亡くなったら、あの沖縄の少年たちと満州の大地を駆け回りたい」。坪谷さんの言葉に胸が締め付けられた。戦争がなければ、普通にできていたこと、それをしたいのだと思った。戦時下を生きた人たちの祈りの声を私たちは忘れてはいけない。