<南風>私の反省 - 琉球新報(2021年2月2日)

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記者の友人から近著が届いた。あとがきに、戦後70年企画で彼が書いたゼロ戦操縦士の新聞記事が収めてあった。操縦士は、真珠湾奇襲作戦に参加し、ミッドウェー海戦ガダルカナルと激戦地を転戦。九死に一生を得て終戦を迎えた。「私は人殺し。忘れたかったが、悪夢にうなされた」。操縦士の悲惨な体験と苦悩を、友人はひとり語りの手法でうまく描いていた。
この話に引きつけられたのは、年末年始にテレビで沖縄戦駆逐艦雪風」の少年兵、といった太平洋戦争の番組を見たからだ。体験者の生々しい証言、戦争の実相に改めて衝撃を受けた。
友人によると、操縦士は取材の翌年に亡くなった。番組に登場した「雪風」の元少年兵2人は自分たちの死後、雪風語り部がいなくなるのを心配していた。今年で戦後76年。戦争体験者が次々と鬼籍に入られ、歴史の貴重な語り部が消えていこうとしている。これらを後世に伝えていかないと、戦争を知らない政治家たちがいつ暴走するか分からない。私たちはつい最近、その予兆を感じ、不安を覚えた経験をしたはずだ。
歴史の記録は主に記者や研究者たちの仕事だが、私は自分の反省を込めて若い人たちにやってもらいたいことがある。祖父や祖母に戦争体験を聞いて記録に残してほしい。今の時代、ネットに上げれば多くの人に発信できる。聞き書きを通じてお年寄りたちと対話が生まれ、戦争体験だけでなく人生も学べる。文章をまとめる力もつくはずだ。
私の祖母と母は被爆者だった。祖母は出征した夫を沖縄で、娘4人を原爆で亡くした。本人たちが自ら積極的に話さなかったこともあるが、記者のはしくれでありながら私は記録はもちろん、尋ねることさえしなかった。2人は悲しい体験を胸に秘めたまま旅立った。それが私の反省である。
(大野圭一郎、元共同通信社那覇支局長)