(余録) 東京・向島に住んでいた半藤一利さんは… - 毎日新聞(2021年1月14日)

https://mainichi.jp/articles/20210114/ddm/001/070/106000c

東京・向島に住んでいた半藤一利(はんどう・かずとし)さんは小学生の頃の米軍のドーリットル隊による日本初空襲を覚えていた。空に浮かんだ白い綿のような高射砲弾の煙を見ていると「破片が落ちてくるぞ」と大人に怒られた。
3年の後、中学生になって経験した東京大空襲は、一転、地獄絵図だった。炎と煙に追われて川に落ち、救われた船上から岸辺の人々が瞬時に火だるまになる姿を目にし、死体の浮く川の水を吐き、折り重なった焼死体の中を歩いた。
後年、編集者、昭和史研究家となった半藤さんだが、自分の空襲体験は40代まで口にしなかった。自ら記すようになったのは、ある元軍人を取材して明白なうそをつかれたからだった。そこで、前線にいたという話の矛盾を指摘した。
元軍人は「戦争を知らぬくせに何を言うか」と激高した。半藤さんは「こちらも焼(しょう)夷弾(いだん)を浴びて死ぬ思いをしたんだ」と言い返した。それまでも、元軍人らのうその裏側に潜む真実を探り出す歴史探偵を自任してきた半藤さんである。
気づいたのは、多くの焼死者を見ても感情を失い、それを口にしたくなかった自身の体験だった。人間性を奪う戦争の怖さと、言いたくないことが闇へと沈む体験継承の難しさである。昭和史再発掘の意欲には、さらに熱が加わった。
先年には自らの空襲の体験を令和の子ども向けの絵本にした半藤さんである。戦火に倒れた人々が語れなかった無念、歴史の闇に沈んだ思い、忘れられた光景をしかと書き留めた昭和の語り部が世を去った。