(筆洗) 終戦直後の「リンゴの唄」が苦手だったそうだ。底抜けに明るい… - 東京新聞(2020年12月26日)

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終戦直後の「リンゴの唄」が苦手だったそうだ。底抜けに明るい曲調と罪のない歌詞。明るい時代へ向かう当時を象徴するような曲だが、聴くのが悲しかったという。
一九四六年。満州からの引き揚げ船の中でその歌を船員に教えてもらった。満州で生きるか死ぬかの体験をした。それなのに満州に取り残された自分たちのことを忘れて、日本ではもうこんなに明るい歌を歌っているのか。
作詞家のなかにし礼さんが亡くなった。八十二歳。「天使の誘惑」「恋のフーガ」「石狩挽歌」「人形の家」。手になる名曲を挙げれば切りがない。昭和歌謡の巨人が逝った。
「過去」。歌謡曲ではよく聴く言葉だが、菅原洋一さんの「知りたくないの」でなかにしさんが初めて使ったと聞く。五七調をなるべく避け、新しい言葉を曲に乗せる挑戦の人でもあった。
悲しい詞に持ち味があった。「二人で育てた小鳥をにがし 二人でかいたこの絵燃やしましょう」(「手紙」)「ほこりにまみれた人形みたい」(「人形の家」)。日本に見捨てられたと感じた満州での孤独や痛み。その体験とくやしさが歌詞のどこかに必ず潜んでいる気がする。
「リンゴの唄」が明るく励ます曲なら悲しみを知るこの人の詞は孤独な人の背中を静かにさすり、自分も同じだよと慰めていた。戦後日本を歌で支えた人との別れに「石狩挽歌」の海猫(ごめ)が寂しく鳴く。