(卓上四季) 沖縄の希望の灯火 - 北海道新聞(2020年10月31日)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/476729

うちなーぐちをばかにされ、さげすまれる毎日。地獄でした」。沖縄県名護市の土木建設会社の社長の言葉には積年の思いが詰まっていた。沖縄に帰り創業した理由を尋ねた時のことだ。横浜で働いた日々の記憶は辛(つら)いものばかり。20年前の取材の記憶は今も鮮明だ。
日本の統治下に組み入れられた1879年(明治12年)の琉球処分以来、沖縄は本土への同化を強いられた。その過程で、本土側には沖縄の言葉を蔑視するような差別意識も生まれた。
その沖縄にとって明るいニュースだっただろう。1967年の大城立裕さんの芥川賞受賞と92年の首里城復元のことだ。
米兵による少女暴行事件を通して米統治下の沖縄の現状を告発した小説「カクテル・パーティー」。鮮やかな赤瓦で琉球王国の拠点を復元した首里城。劣等感を払う一助となったことは容易に想像できる。
大城さんは61年の「悪石島」で、米軍の魚雷に沈められた疎開船「対馬丸」事件を世に知らしめて以来、一貫して沖縄から問いかけ続けた。その訃報に接し、足跡を悼む声が絶えない。
世界遺産首里城の火災からきょうで1年。大城さんも「沖縄の象徴」と気にかけていた。戦災を含め焼失と再建を繰り返した姿は、何度も立ち上がって来た沖縄の歴史と重なる。瓦職人と記録の少なさなどから再建工事は難航しているが、沖縄の希望の灯火が途絶えることはないだろう。2020・10・31