(卓上四季) ムーミン谷の願い - 北海道新聞(2020年10月28日)

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原子爆弾が投下された夏、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンはちょうど「ムーミン谷の彗星(すいせい)」を執筆していた。自身の戦争体験をモチーフに考えていたが、スイッチ一つで多くの人生が完全に破壊される怖さを物語に取り込んだ。児童書としては異例のことだ(「ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン河出書房新社
彗星の接近でムーミン谷の平和は一変する。山は揺れ、海は干上がり、大地が裂ける。爆音が響き、燃え上がる世界の様子は、原爆による破壊の脅威の表現にほかならない。
二度と悲劇を繰り返さない。非人道的兵器の廃絶を目指す核兵器禁止条約の批准国・地域が50に達した。来年1月22日に発効する。容易ではないが、核保有国に軍縮を迫り、使用を困難にする効果はあるだろう。
注目されるのが、唯一の戦争被爆国日本の対応である。安全保障を米国の「核の傘」に頼ることから、政府は不参加の立場を崩していない。保有国と非保有国の橋渡し役を担うというが、腰は重いようだ。
日本のテレビアニメ「ムーミン」だが、実は初期の作品は海外での配給を禁じられた。体罰などの描写が「ムーミン谷」の哲学に反したのが理由で、トーベ・ヤンソンが失望したからだ。
「空、太陽と山が残っている。そして海が」。彗星禍を生き延びたムーミンの言葉だ。かの谷の住人の目に、きょうの世界はどう映っているだろう。2020・10・28