(私説・論説室から) 隠された「時間との闘い」 - 東京新聞(2020年9月9日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/54336

残された時間はわずかだ。戦後七十五年。体験者抜きにどう惨禍を伝えるのか。今夏も戦争を振り返る特集で、そう繰り返された。でも、体験者に勝る語り部はいない。まずは生存者たちから聞いておかねばならない。
これは先の戦争に限らない。闇に隠され、忘れ去られた事件でも同じだ。そのひとつに一九七〇年代から八〇年代にかけて多発した「内ゲバ」がある。新左翼党派の抗争で、百人を超す前途ある若者たちが命を落とした。
百人という数字にひるむ。あの山口組と一和会の暴力団抗争ですら、死者は三十人に満たない。しかも、社会運動に大きな傷痕を残した。六〇年代末の世界的な青年たちの異議申し立ては日本にも及んだが、内ゲバはその流れにとどめを刺し、今日まで若者たちが政治運動から距離を置く一因にもなった。
歴史に刻まれる出来事だと思うのだが、あまり語られてこなかった。「過激派は社会の敵」という排除キャンペーンに加え、テーマに触れること自体が当事者団体からのとばっちりを招きかねない危険を伴ったからだ。
かつて、その渦中にいた人と勉強会で会った。七十三歳。考え続けているという。興奮が記憶に変わる時間も必要だったらしい。
日本特異の現象だが、同時に絶対正義を背負った集団の暴走は普遍的な問題でもある。それにしても、なぜあそこまで。時間との闘いはここでも始まっている。 (田原牧)