(筆洗) ある映画音楽の作曲家は自分の担当した映画が上映されている映… - 東京新聞(2020年7月8日)

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ある映画音楽の作曲家は自分の担当した映画が上映されている映画館のトイレに閉じこもるのだそうだ。
何をするのか。上映が終わると観客たちがトイレにやってくる。作曲家は耳をそばだてる。そこで、映画のテーマ曲の口笛や鼻歌が聞こえてくれば大成功というわけだ。
映画黎明(れいめい)期の映画音楽は映写機のシャーという音を消すためのものだったそうだが、やがて、映画にとって欠かせぬものになった。映像が伝えきれぬ感情を音楽が補ってくれる。良い映画音楽はときに映像以上に観客の胸に刻まれる。
「続・夕陽のガンマン」「アンタッチャブル」「海の上のピアニスト」など四百本を超える映画音楽を担当したイタリアの作曲家エンニオ・モリコーネさんが亡くなった。九十一歳。この人の音楽もきっと世界中の鼻歌や口笛になっただろう。
イタリア映画の傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」の音楽は当初引き受ける気はなかった。「キスを通して映画の歴史を語る」。送られてきた台本を読み、心を変えた。引き受けてくれて本当によかったとあの映画のファンなら思うだろう。
あくまで映画のあるじは映画監督であって「音楽家は映画監督のために働くのだ」と語っていた。だからその音楽は独り善がりに陥ることなく映像と一体となって物語を紡ぎ出せたのだろう。追悼に、どの作品を見るかで悩む。傑作が多すぎる。