<金口木舌>万歳は誰のために - 琉球新報(2020年7月6日)

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那覇市首里山川町の付近はかつて万歳嶺(ばんざいれい)(俗称・上(ウィー)ナチジナームイ)と呼ばれた。市資料によると、琉球国王・尚真が遊覧した際、国の繁栄を願う万歳の声が起き、1497年に「万歳嶺記」の碑を建てた

▼長い年月を表す中国の言葉「千秋万歳」が万歳の由来。万歳は長寿のほか、皇帝の寿命の意味もある。「明治事物起原」によると、両手をあげて祝意を表す行為の始まりは、1889年、大日本帝国憲法の公布時からだ
▼76年前、サイパンテニアン南洋群島で日本軍と米軍の地上戦が展開された。多くの県系移民も巻き込まれて犠牲となった。サイパンの組織的戦闘は7月7日に終わった
▼島を2カ月間逃げ回った住民や、「集団自決」(強制集団死)も発生した。サイパンのマッピ岬では「天皇陛下、万歳」と叫びながら海に身を投じる人がいて、米軍は岬を「バンザイクリフ」と呼んだ
▼9カ月後、同じ悲劇が沖縄でも繰り返される。第32軍司令部が置かれた首里は激戦地となり、首里城は燃えた。万歳嶺記の碑も破壊された。両手をあげる行為は投降、無抵抗の意思表示にもなった
▼戦後、万歳嶺の頂上付近に首里観音堂が再建され、碑も敷地内に復元された。万歳の語意には「いつまでも生きる」も含む。それは為政者ではなく、一人一人の民のためにある。南洋戦と沖縄戦で刻まれた教訓である。