週のはじめに考える 伝えることが防災だ - 東京新聞(2020年3月22日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020032202000141.html
https://megalodon.jp/2020-0322-0826-08/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/column/editorial/CK2020032202000141.html

まだ、伝えることはあるのでしょうか。伝える必要はあるのでしょうか。新型コロナウイルスに関心が集まる中、東日本大震災の取材をしていて、考えました。

◆東京から福島市に帰郷
伝え続けなければならないと感じたことが二つありました。
最初は若い夫婦の話です。
夫婦は新婚生活を東京で共働きで始めました。二〇〇九年五月に子どもが誕生。出産後、若いお母さんは首都直下地震が気になり始めました。復職して、地震が起きたら、赤ちゃんはどうなるのか。出産前から二人とも仕事が忙しすぎるので、故郷に帰る相談もしていました。翌年春、故郷の福島市に帰りました。
一一年三月十一日午後、お母さんは赤ちゃんをおばあちゃんに預けて外出していました。地震の時、おばあちゃんは赤ちゃんを抱いて庭に避難したそうです。
お母さんは震災時、妊娠中でした。震災直後と出産後の二度、放射能の影響を心配して県外に避難しました。しかし、家族が離れて暮らすことに耐えられず、短期間で福島に戻りました。その後、仲間を募って市内の公園の放射線量を測り、子どもが安心して遊べる場所が分かる地図を作りました。
故郷に帰ったのは失敗だったのでしょうか。「夫婦両方の両親がいたから乗り越えられました。震災直後、東京にいる友人のことが心配だったほどです」とお母さんは言います。
大事な時、夫婦で相談して決めたことが良かったようです。
首都直下地震南海トラフ地震にどう備えるかを考えるきっかけになると取材を申し込みました。六年前のことです。
当時、自らの体験は語ってはくれましたが「今はまだ書いてほしくない」。家族や親しい人に犠牲者はいません。多くの人には「いい話」と受け取られるはずですが、それでも、広く知られることがはばかられたのです。
今回の取材でも「忘れることはできないし、忘れられるものではないが、考えないようにしていました」と言われました。紹介することはできても、匿名での発言です。福島県では声をあげられない人がまだいる、ということを分かってください。

◆故郷の様子をビデオに
堂々と発言している人はどうなのでしょうか。
震災時、高校一年生だった沼能(ぬまのう)奈津子さんに話を聞きました。沼能さんは福島県浪江町に住み、南相馬市にある原町高校生でした。所属していた放送部が「原発30キロ圏内からの報告」というドキュメンタリーをつくるなどし、多くのメディアが取り上げました。特に避難地域の浪江町出身の沼能さんはよく取材されました。
「テレビの放送を見て、自分がしゃべった中でそこが使われるんだと思った。『使命感を持って』とか『ずっと伝えていきたい』とか。次第に相手が欲しいだろうなというセリフを言っていた。自分の頭で考えていませんでした。今は考えて伝えることが人の役に立つかもしれないと思っています」
「地域と地域、地域と人をつなぐ仕事をしたかった」と、今は大手旅行社に勤めています。今年は故郷の浪江町を訪ねるスタディーツアーの企画を立てるそうです。大学時代も、今も、故郷の様子をビデオに撮っています。一時はマスコミ不信に陥ったそうですが、乗り越えてくれていました。
もちろん、多くの人は率直に話してくれています。
清水修二福島大名誉教授にこんな話を聞きました。
「テレビなどでよく、大きな事件の被害者や遺族が、私たちと同じような思いをする人たちがなくなることを願って、みたいなことを話すでしょ。うそくさいなあと思っていたんですが、自分がその立場になったら、そう思うんですよ。あれは本心なんですね」
公式記録には、東日本大震災から九年後に復興五輪が開かれ、追悼式は十年後の二一年が最後になったと記されるのかもしれません。でも、被災地の人たちがどう対応し、何を考えたのか、を記録することはきっと、将来の災害に備えるのに役立つでしょう。

◆「言葉の力を信じてる」
経験談は親子三代ぐらいまでしか伝わりません。自然災害は百年どころか、千年に一度のこともあります。記録を残すことが子孫への務めです。そのためには、被災地の人たちが語り始めるのを待たなければなりません。いや、語り始められる環境を整えなければいけません。それが心の復興でしょう。まだまだ区切りなどと言うのは早いのです。
冒頭で紹介したお母さんに、取材に応じてくれた理由を尋ねました。「私は言葉の力を信じてるんです」と言ってくれました。その期待に私たちは応えなければいけないと考えます。