週のはじめに考える 溶けていく民主主義 - 東京新聞(2020年2月16日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020021602000142.html
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一九九九年秋、中央アジアキルギスで、日本人鉱山技師四人らがイスラム武装組織に誘拐されました。当時、その事件取材のため首都ビシケクに約一カ月間滞在しました。
キルギスの通貨はソムといいます。ホテルで手持ちのドルの一部と交換した直後、不安が頭をもたげました。ソムが「人生ゲーム」で使うおもちゃの紙幣のように小ぶりだったからです。
街中でソムは使えましたがあまり歓迎されなかった。外国人ということもあり、しばしばドルでの支払いを要求されました。

◆通貨は信用で成り立つ
ドルで払った後、見慣れない紙幣でお釣りをもらったこともありました。遠ぼえするオオカミの図柄が入った紙幣でした。両替所で「偽札か」と聞くと、「旧ソ連邦のどこかの国の紙幣では」との答え。結局、詳細は分からず、両替も使用もできませんでした。
通貨は信用で成り立っている。こんな当たり前の事実を実感した取材でした。
「サトシ・ナカモト」をご存じでしょうか。日本風の名前ですが、国籍も年齢も分かっておらず、正体不明です。複数の人間が共有するペンネームのようなものかもしれません。
ナカモト氏はブロックチェーンというIT関連の技術を開発したとされています。ビットコインなど仮想通貨には中央銀行にあたる組織が存在しません。では何を信用して取引が行われているのでしょうか。
仮想通貨のすべての参加者はブロックチェーンを共同管理します。そこでは各取引が漏れなく記録され、不正取引を防ぐ役割を担っています。仮想通貨の世界は、ブロックチェーン中央銀行の代わりに見立てて、信用を創出しているのです。当然、ナカモト氏はIT業界では「有名人」です。

◆意外なトランプ支持者
実は米国のIT企業の担い手たちの一部にトランプ大統領の支持者がいます。若い起業家はリベラルな考えを持っているイメージがありますが、公然とトランプ支持を表明した人物もいます。
その代表格が電子決済サービス「ペイパル」の創設者、ピーター・ティール氏です。フェイスブックを創設したマーク・ザッカーバーグ氏の才能を無名時代に見抜き投資した人物でもあります。
ティール氏は大きな政府を目指し、市場に介入しようとするリベラル勢力に批判的です。自由な経済活動を阻害する勢力とみなしているのです。
トランプ大統領の決定は熟慮した気配がなく、気まぐれです。大統領は多くの側近を信用せず、議会も軽視しがちです。民主主義に欠かせない議論という過程を嫌っているように感じます。ティール氏は大統領のそういった部分に惹(ひ)かれたのではないか。
国内外のIT企業のトップはトップダウン型の経営を好みます。新ビジネスでも投資でも思い付いたらすぐ実行します。スピード感はITの世界で成功する生命線です。最短距離で利益を求めていく。そこでは反対論者を根気よく説得する民主的手続きは邪魔なのかもしれません。
ティール氏に見いだされたザッカーバーグ氏は、「リブラ」という仮想通貨構想を発表して議論を引き起こしています。リブラが成功すれば中央銀行の存在価値は低くなります。それは通貨の世界に、国家と並んで新たな「信用」の担い手が誕生することになる。
両氏の心には「国家や議会は必要ない」という気持ちがあるのかもしれません。確かに彼らのような大金持ちは国家が整備する社会基盤を必要としていない。国家に期待するのは自分の財産を守るための治安体制ぐらいでしょうか。
議論という行為は面倒くさい手段です。意見を戦わせ、結論が出なければ妥協するしかない。だがその過程でお互いを尊重する土壌が形成されていきます。
IT企業は国内外で存在感を増しています。ティール、ザッカーバーグ両氏のような存在にあこがれる若者も多いはずです。

◆強い気概を持つべき
もし起業家たちやそれを目指す若い世代が決定のスピードを優先し、議論を軽んじるようになったら-。「経済の自由に民主主義は必要ない」と考えるようになったら-。大きな不安を覚えます。
日本の国会でも心配な出来事がありました。日米貿易協定案がたった十四時間の審議で衆議院を通過し、今年一月発効しました。米国を含む環太平洋連携協定(TPP)の二割の審議時間です。
消費者や農業に重大な影響がある協定が十分な国会での議論を経ずに決まったのです。国内外で溶けだそうとする民主主義を守るために、強い気概を持つべき時期にきていると痛感します。