(余録) 明治初期の自由民権運動を率いた… - 毎日新聞(2020年2月13日)

https://mainichi.jp/articles/20200213/ddm/001/070/121000c
http://archive.today/2020.02.13-020404/https://mainichi.jp/articles/20200213/ddm/001/070/121000c

明治初期の自由民権運動を率いた板垣退助の仲間に弁の立つ豪快な女性がいた。演説をとめようとする警官がいると聴衆をたきつけて追い払い、外国帰りのライバル弁士相手に「英語で話すのか」と冷やかしたという。
「民権ばあさん」の異名をとった楠瀬喜多(くすのせ・きた)である。剣術にも優れ、なぎなたを体得した。板垣が秘蔵の鎖鎌を贈ったという話が伝わるから、相当な腕だったようだ(平尾道雄著「立志社と民権運動」)
楠瀬を有名にしたのは、納税者に限ってだが女性の地方選での投票に道を開いた功労だ。当時は世界でもめずらしかった。夫と死別し税金を納めているのに女性だからと選挙権が認められない理不尽に怒ったのが発端だった。
今年は楠瀬没後100年。国会の現状を見れば落胆するだろう。女性議員は衆院で1割、参院で2割と世界最低レベルだ。女性議員を増やそうと勉強会が開かれ、自民党で議員グループ結成の動きもあるが、女性の立候補を促す環境づくりに妙案は見つからない。
ここは女性活躍の先進国フランスを見習ってはどうか。かつては日本と変わらぬ後進国で、男女均等の思想が浸透したのはこの20年だ。ミソは男女候補数の差が2%以上だと政党助成金が減額される制度にある。
日本も候補者数を男女均等とする法律があるが、努力規定にとどまる。カリスマの出現を待ってもいられまい。ならば義務付けも一つの手ではないか。不明朗との指摘がある政党助成金のあり方を見直す契機にもなろう。