<金口木舌>戦後75年の道 - 琉球新報(2020年1月1日)

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首里城に関する資料を調べていると一枚の写真に目が止まった。長く、細い道の両側にテント小屋が並んでいる。「首里三箇」と呼ばれた赤田、崎山、鳥堀の一帯という
▼路上には人影が見える。黒っぽいテント小屋に挟まれた路面の白さが際立っている。撮影時期は敗戦直後であろうか。この白い道が戦世(いくさゆ)の終わり、戦後復興の始まりを象徴しているように見える
佐多稲子さんの自伝的小説「私の東京地図」は「道」という章で終わる。焼け跡に残る道を見つめ、戦争という時代に迎合した自身の歩みを顧みる。「私はまた、ひとつの方向に進む足音に自分の足音を混じえて歩いて行こう」と決意し、作者は戦後の道を踏み出す
東峰夫さんの「オキナワの少年」は基地の門前町コザを活写する。軍用道路にしがみつく町を見下ろす主人公つねよしは表通りに掲げた看板の裏に生活臭を嗅(か)ぎとる。「ここからはまる見えじゃないか!」
▼白い道があった。戦争でひずんだ道、米兵向けに着飾った道があった。沖縄、日本にさまざまな道があった。この国の道はどこへ延びているのか。米軍基地の金網に挟まれた国道のある沖縄で考える
▼「戦後75年」の声を聞く。2カ月前、首里城が焼け落ちたためか、焼け跡を前にしているような気分になる。沖縄が焦土となった日から今日までの歩みを振り返り、明日へ伸びる道へ一歩を記す。