(筆洗) 金品は、多数の福井県職員にも及んでいた - 東京新聞(2019年11月23日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019112302000148.html
https://megalodon.jp/2019-1123-1113-41/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/column/hissen/CK2019112302000148.html

「贈り物は釣り針だ」「ささやかな贈り物は、大きな贈り物が期待できるところへ行く」。西洋に古くからある言い回しである。洋の東西を問わず、似た言葉は多い。声をそろえるように言うのは、贈られても喜ぶことなかれである。
贈り物は単なる財産の移動ではない。そこには「お返しする義務」も伴うものだと、社会学者マルセル・モースが説いている。未開とされる社会を研究した名著『贈与論』には、贈り物を通じて生まれる貸し、借りの関係が社会に、仕組みとして組み込まれている例などが示されている。
お返しできなければ、人は贈り主に対して権威やメンツを失ってしまう。返さなければ解けない呪いのようである。現代の世の中にも存在しているようだ。
関西電力幹部らに福井県高浜町の元助役が、多額の金品を贈っていた問題である。金品は、多数の福井県職員にも及んでいたことが、新たに分かった。元助役は死去していて、正確な狙いは分からないが、贈与の力を使った支配ではなかったのかと疑わせる。
受け取ったのは、実に百人超である。例の小判も登場する。釣られるのではないか、将来の大きな贈り物が目当てではないかと疑いは生じたはずだが、返していなかった職員もいる。
原発立地で、力があったとされる元助役である。贈り物がどんな力を発揮したかとともに、その出どころも気になる。