(余録) 江戸時代には「手鎖」といわれる… - 毎日新聞(2019年11月10日)

https://mainichi.jp/articles/20191110/ddm/001/070/058000c
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江戸時代には「手鎖」といわれる、家にいたまま両手に手錠がはめられる刑罰があった。寛政3(1791)年、手鎖50日の刑に処せられたのが戯作(げさく)者の山東京伝(さんとうきょうでん)。遊里の世界を描く洒落(しゃれ)本の第一人者だ。
老中・松平定信による「寛政の改革」で、思想や風俗が取り締まられた。京伝の著した「仕懸(しかけ)文庫」などの洒落本が出版統制令に違反したというのが手鎖の理由だった。
手鎖のように目に見える弾圧でなくとも、表現者がお上の顔色をうかがうことにつながらなければよいが。ウィーンで開催中の展覧会「ジャパン・アンリミテッド」について、在オーストリア大使館がオーストリアとの国交150年記念事業のお墨付きを取り消した。
展示について大使館に批判などが寄せられ、方針転換したという。東京電力福島第1原発事故や日本の戦争責任を扱った作品が問題視されたとみられる。抗議が殺到して、一時中止になった「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」に参加した美術集団も出展していた。
騒動が国外に飛び火した格好だ。ウィーンの展覧会はロゴが使えなくなるだけで、会期末まで続行される予定というが、開幕後の公認撤回は国際的にも外聞が悪かろう。
筆禍後、京伝は洒落本の筆を折り、読本(よみほん)作家に転向した。意見を異にするものに対して圧力をかける風潮が強まり、お上がそれに動かされるようになれば、表現者の手足が縛られていくことにはならないか。目に見えない鎖だけに、余計にやっかいだ。

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