(筆洗) 沖縄の首里城である。五百年以上前に建てられて - 東京新聞(2019年11月1日)

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調和の取れたたたずまいと堂々とした様子のその城を、琉球の古歌はたたえている。<首里杜(しよりもり) げらへて げらへたる 清(きよ)らや 上下(かみしも)の世 揃(そろ)える ぐすく>(歌謡集『おもろさうし』)。つくり上げた様の美しいことよ、琉球の世の中をひとつにあわせる城よ。
沖縄の首里城である。五百年以上前に建てられて以来、丘の上から、日常も戦禍も、沖縄の歴史を見てきた。人々にとっては、ひとつの文化や歴史の象徴であろう。
外から訪れる人にとっても、沖縄の美の象徴だった。民芸運動創始者柳宗悦(むねよし)は、日本のほぼすべての城下町を訪ねたが、美しさはここが一番であると断言している。<世界に誇り得る美しいものは非常に少(すくな)くなりました。その間に在(あ)って…首里は特筆されてよい>(『琉球の人文』)。その城が、焼け落ちた。
古語は知らなくても、「清らや」という言葉の響きが似合うと感じさせる建物が、火を噴いている。細工で飾られた朱色のあの外観が失われていくのを多くの人が泣きながらみつめていた。テレビの映像で、喪失感を味わった人も多いだろう。
柳宗悦がたたえた後、首里城沖縄戦の砲撃で、破壊されている。それを含めて少なくとも過去に四度、壊滅的な被害を受けた。
そのたびに再建されている。戦後を含め、沖縄の再起を象徴する建物でもあろうか。今回も、と強く願わずにいられない。